史跡

湯島聖堂は江戸時代・将軍綱吉の昔から学問の聖地

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湯島聖堂は徳川五代将軍綱吉が創建したのが始まりです。

JR中央線・御茶ノ水駅の東側にある聖橋口を出て、神田川を渡った対岸右 にある木々に囲まれた場所にあります。

 

史跡 湯島聖堂

孔子廟、神農廟と昌平坂学問所跡

 

■湯島聖堂と孔子

孔子は、2500年ほど前、中国の魯の昌平郷(現山東省済寧市曲阜)に生まれた人で、その教え 「儒教」は東洋の人々に大きな影響を与えた。

儒学に傾倒した徳川五代将軍綱吉は、元禄3年(1690) この地に「湯島聖堂」 を創建、孔子を祀る「大成殿」や学舎を建て、自ら『論語』 の講釈を行うなど学問を奨励した。

■昌平坂学問所跡

寛政9年(1797) 幕府は学舎の敷地を拡げ、建物も改築して、孔子の生まれた地名をとって 「昌平坂学問所」(昌平黌ともいう)を開いた。

学問所は、明治維新 (1868年)に至るまでの70年間、官立の大学として江戸時代の文教センターの役割を果たした。

学問所教官としては、 柴野菜山(しばのりつざん)、岡田寒泉(おかのかんせん)、 尾藤二洲(びとう じしゅう)、 古賀精里(こがせいり)、

佐藤一齋(さとういつさい)、安積艮齋(あさかごんさい)、鹽谷宕陰(しおのやとういん)、安井息軒(やすいそくけん)、 芳野金陵(よしのきんりょう)らがおり、このうち佐藤一齋、 安積艮齋らはこの地が終焉の地となっている。

■近代教育発祥の地

明治維新により聖堂は新政府の所管となり、明治4年(1871)に文部省が置かれたほか、国立博物館(現東京国立博物館 国立科学博物館)、師範学校(現筑波大学)、 女子師範学校(現お茶の水女子大学)、 初の図書館 「書籍館(しょじゃくかん)」 (現国立国会図書館) などが置かれ、近代教育発祥の地となった。

■現在の湯島聖堂

もとの聖堂は、4回の江戸大火に遭ってその都度再建を繰り返すも、 大正12年 (1923) 関東大震災で焼失した。

その後「假(かり)聖堂」を営み、 昭和10年 (1935) 鉄筋コンクリート造で寛政の旧に依って再建され、今日に至っている。

入徳門は宝永元年(1704)に建てられたものがそのまま残っており、貴重な文化財となっている。

 

 

御茶ノ水駅から向かうと正門は通らなくなくても聖堂には行けますが、とりあえず神田川沿いの相生坂を下り正門まで行きました。

正面の建物は湯島聖堂の管理を行っている斯文会館(しぶんかいかん)です。

仰高門が入口の門です。

門をくぐると、孔子様がお出迎えです。

孔子の『論語』は江戸時代、武士の教養として盛んに読まれました。

孔子銅像建立ノ記

孔子ハ約二千五百年前ノ春秋時代ノ魯ノ國ノ人デアル幼ニシテ父ヲ喪ヒ下級官吏ヨリ身ヲ起シ國王定公ニ用ヒラレ大夫トシテ國政ニ参與シテ十數年大イニ治績ヲ擧ゲタガ後ニ意見ガ合ハズ退任シ門弟ト共ニ諸國ヲ周遊シテ容レラレズ晩年故郷ニ歸リ人ノ人タル所以ノ道ヲ説イテ七十餘歳デ逝去シタソノ子孫ハ治亂興亡ヲ經テモ相傳ヘテ直系七十七代孔徳成ニ至ツテ居テソノ孔子廟ト孔家歴代ノ墳墓ハ山東省ノ曲阜ニ今猶嚴然トシテ存シテ居ル孔子ノ言行録デアル論語ハ今日ても廣ク世界中ニ讀マレテヰルカクノ如キハ他ニ比類ガナイ今ヤ洋ノ東西ヲ問ハズ人類ガ擧ゲテ混迷ニ陥ル時ニ萬世ノ師表タル孔子ノ忠恕ノ道ヲ傳ヘ仁義ノ徳ヲ明ラカニスルノハ喫緊ノコトデアリマタ吾人ノ責務デアル

 

コノ孔子ノ銅像ハ昭和四十九年臺北城中らいおんずくらぶ周宏基會長等ガ湯島聖堂ニ参拝シ元禄以来三百年ノ由緒アル史跡ニ感銘ヲ受ケ國立臺灣師範大學開明徳教授ニ依嘱製作シ寄贈シタモノデ唐ノ呉道子ノ筆ト傳ヘル孔子畫像ヲ基調トシテ鋳造シ昭和五十年十一月三日文化節ニ建立シタ丈高十五尺重量ニ噸ノ世界最大ノ孔子像デアル茲ニ聊カ建立ノ由來ヲ記シ世ニ傳ヘル

昭和五十七年十月先儒祭ノ日

財團法人 斯文會

 

 

次は入徳門です。

入徳門は、聖橋を渡ってすぐのところから、階段を下っていくこともできます。

階段を登ると、杏壇(きょうだん)門です。

大成殿(たいせいでん 孔子廟)に辿り着きました。

中には孔子像が安置されていますが開いているのは土,日曜,祝日だけだということで見られませんでした。

異国情緒たっぷりですね。

次は、孔子廟が開いている時に寄ろうと思います。

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