東洋文庫ミュージアムは、2024年12月末から2026年1月20日までの約1年間、施設のリニューアル工事および館内環境の改修作業のため長期間休館していました。
休館を経て2026年1月21日にリニューアル・オープンを果たし、記念企画展『ニッポン再発見―異邦人のまなざし―』の開催とともに、新しく生まれ変わった姿で再開されました。
改修の内容は、現地にいってもピンときませんでしたが、施設・設備の改修とバリアフリー化がなされたようです。(´・ω・`;)
東洋文庫
本駒込二二八二
大正十三年「東洋文庫」がここに設立された。
オーストラリア人、アーネスト・モリソンは、ロンドンタイムズの通信員として中国に駐在した後、中華民国の政治顧問として活躍し、中国に関する政文の文献四万五千冊を集めていた。
これが譲渡されるに際して、欧米諸国から申し出があったのを、大正六年岩崎久弥氏(三菱三代目社長)が、これを購入し財団法人として一般に公開した。
モリソンのコレクションは、中国に限られていたので、久弥氏は、これをアジア全地域に拡大し、欧文のみならず漢籍その他現地語の図書をも収集し、現在に及んでいる。
また図書部の外に研究部を設けた。
現在七十万冊をし、アジア研究のセンターとして、世界でも有名である。
郷土愛をはぐくむ文化財
文京区教育委員会
昭和六十年三月


玄関横の石は「厳かさ」や「普遍性」を表現するデザイン建築の一部ということです。
目次
1 エントランス

東洋文庫ミュージアムへようこそ
東洋文庫は日本最古にして最大の東洋学専門図書館・研究機関です。
1924年、三菱第3代社長の岩崎久彌の寄付を受け、 財団法人として誕生しました。
東洋学とは、日本を含めたアジア・アフリカの諸地域を研究対象とする歴史学など、 諸学問分野の総称です。
東洋文庫の蔵書はおよそ100万冊に上り、 国宝や重要文化財をはじめ、 歴史学的価値と美術的価値を有するものを多数含んでいます。
東洋学に関するコレクションとしては質量ともに国内最高の水準を誇ります。
国際的には、大英図書館やフランス国立図書館の東洋分門、 ハーバード燕京研究所・図書館、ロシア科学アカデミー東洋写本研究所などと並んで、 世界五指に入る東洋学の殿堂として知られており、今日も国内外から数多くの研究者を受け入れています。
ミュージアムは、 東洋文庫の所蔵品をとおして、 東洋学の魅力をより多くの方々にお伝えするための施設です。
いずれの展示物も東洋の豊かな文化を知る手がかりとなりますが、 主役はお客様ご自身です。
展示される書物や絵画の一品一品が生み出された広大無辺の時空間に思いをはせながら、どうぞごゆっくりご鑑賞ください。
東洋文庫の歴史
東洋文庫は、1924 年に設立しました。
しかし、蔵書の収集はそれ以前から始まっています。
代表的なコレクションである「モリソン文庫」 は、 1917年に創立者である岩崎久彌が一括購入し、北京のモリソン邸から日本へと運ばれました。
また、 愛書家であった久彌自身の蔵書 「岩崎文庫」 も寄託、のちに寄贈されました。
これらの貴重な蔵書を継続的に公開し、 次世代へ伝えていくために、開設から今日までの間には、 災害や戦禍といった多くの困難を乗り越えた人々の尽力がありました。
こうして守られてきた書物は、私たちに長い時の流れと広大な世界をみせてくれます。
知を集約した書物を集め、 それらを公開しつつ守るために奮闘してきた人々の記録を中心に、 東洋文庫の歴史をご紹介いたします。
2 企画展
階段を登ってモリソン書庫へ

モリソン書庫へようこそ!
足元から天井までぎっしりと並んだ本、本、 本・・・。
オーストラリア出身ジャーナリストのジョージ・アーネスト・モリソン (1862-1920年) が収集した約2万4千冊の書籍です。
モリソンはロンドンタイムズの通信員として北京に駐在し、 中華民国大総統府の顧問もつとめました。
20年に及ぶ滞在中、 主に欧文で書かれた東洋に関する質の高い書籍を収集しました (モリソン文庫)。
1917年、三菱第3代社長の岩崎久彌は彼のコレクションを一括購入し (現在の価値で
数10億円)、後に東洋文庫のコレクションの柱となりました。
モリソン文庫に含まれる本には全てモリソンの蔵書票が貼られています。
ミュージアムの開館に伴い、類いまれなるモリソンの大コレクションがついに一堂に会することとなりました。
まるで本の森に迷い込んだかのような格別のひとときをご堪能ください。

いつ見てもこの書庫は圧巻です。
新編水滸画伝
曲亭馬琴・高井蘭山 作、葛飾北斎画 1805-38年
108人の豪傑を世界で知られる絵師が活写
中国四大奇書の一つ『水滸伝』を翻訳して制作された、全90巻に及ぶ大長編です。
本作で葛飾北斎は、ぼかし表現を用いて雲や場面の空気感を描いたり、時には龍、岩、剣などを枠外に飛び出させる奇抜な構図でインパクトのある場面をつくりました。
こうした挿絵が人気となり、江戸時代の庶民の間で『水滸伝』 が普及したと言われています。
日本書紀(慶長勅版)
舎人親王ら編 720 (養老4) 年成立 1599(慶長4)年刊
正式な書物は漢文でキリっと
『日本書紀』は、奈良時代に作られた正式な歴史書です。
天地が生じ神々が活躍する神代から、 持統天皇の時代まで(7世紀末)の歴史を記しています。
古代の日本では、正式な文章は漢文で書かれたため、正式な歴史書である『日本書紀』も漢文体で書かれています。
しかし、特殊な表現に注で日本語の読みを示したり、漢字の音を用いて歌を記したり、日本語の表現を伝えようとするところもあります。
源氏物語絵抄
1010年頃成立(18世紀頃書写)
不朽の名作をダイジェスト版でどうぞ!
『源氏物語』は紫式部が著した日本を代表する長編古典小説です。
華やかな恋愛に彩られた光源氏の生涯と、 息子の薫の物語が描かれています。
本書は、全54帖ある物語を1巻1ページずつにまとめたものです。
各巻のハイライトを描いた絵画も添えられていて、読者の目を楽しませてくれます。
江戸時代になると、『源氏物語』 に関連した本は各種出版され、多くの人々に読み継がれていきました。
東方見聞録
マルコ・ポーロ ロ述、 ルスティケッロ著 1485年 アントワープ刊
東西の出会いの物語
『東方見聞録』 はヴェネツィアの商人マルコ・ポーロが、父や叔父と東方を旅した際に見聞きしたこと、体験したことがまとめられた旅行記です。
東洋文庫には年代がわかるものだけでも、 出版年・出版地 言語が異なる 『東方見聞録』 が約80種類あり、刊本のコレクションとしては世界最大級です。
本書のなかで、日本は黄金や宝石を豊富に産出する島 「ジパング」として紹介されています。
その内容は多くの人々の憧れを刺激し、 大航海時代の幕開けに大きな影響を与えました。
いざ、日本へ-ヨーロッパ世界と日本との対面
15世紀後半のヨーロッパでは、航海術と造船技術の発展を背景に、各国が航路を開拓して海外進出をはかる大航海時代を迎えました。
さらに、16世紀初期にはじまった宗教改革により、 カトリック教会の再興を目的としたキリスト教の海外宣教が始まります。
これ以降、ヨーロッパによる世界進出、貿易、 キリスト教の海外宣教は一体となって展開されました。
1600年にアジア各地での交易を目的とした 「東インド会社」がイギリスで設立されたのをはじめ、 オランダ、デンマーク、 フランス、スウェーデンなどヨーロッパ各地でも相次いで誕生しました。
これを機に、イギリスは日本との通商を視野に入れるようになり、1611年には国王ジェームズ一世(在位1603-25) の命を受けて、貿易商船隊司令官のジョン・セーリス(1580-1643)が日本へ向けて出港しています。
大航海時代の先陣をきったポルトガル、スペイン、 それに次ぐヨーロッパ各国の商人、さらにイエズス会のザビエルをはじめとした宣教師たちなど、16世紀以降にヨーロッパから海を渡り日本を訪れた異邦人は、何に驚き、印象深くとらえたのでしょうか。
また、 彼らがもたらしたものは日本にどのような影響を与えたのでしょうか。
日本での直接的な接触をもとに綴られた記録を中心にご紹介します。
異邦人が目撃した幕末
江戸時代をとおして外国との接触を制限してきた日本ですが、18世紀後半以降は通商を求めるロシアなどの外国船が来航し、幕府との接触を図るなど、 ヨーロッパ列強の接近を意識せざるをえない出来事が続きました。
一方、 19世紀に産業革命を迎えたアメリカは、増大する鯨油の需要に対応するため、 捕鯨船の寄港地を確保する目的をもって、 日本の開国と通商条約締結を目指して艦隊を派遣しました。
1853年のペリー来航、 翌年の日米和親条約の締結により、日本の鎖国は終わりを迎え、幕末の動乱は激化していきます。
1858年に、幕府はアメリカ、オランダ、ロシア、イギリス、フランスの五か国と、 神奈川 (横浜)をはじめ5港の開港、 自由貿易や協定関税、領事裁判権などを条約国に対して認める修好通商条約(安政の五か国条約)を締結し、翌年以降も他のヨーロッパ各国と同様の条約を結びました。
これら一連の対外的な動きにより、 1868年の新政府樹立と前後して、 日本には諸外国の使節団や大使が訪れています。
列強各国からの圧迫を平和的に解決しようとした選択は、 結果的に幕府に対する国民の不満を高め、 なかには排外的な思想をもつ人々も少なからずいました。
日本の歴史が大きく動いた時代を、一線を引いた立場で見つめた異邦人たちはどのように記録したのでしょうか。
幕末から明治初期にかけて、激動のなかで育まれた異文化交流のエピソードと共に紹介します。
18世紀後半以降は通商を求めるロシアなどの外国船が来航し、 幕府との接触を図るなど、ヨーロッパ列強の接近を意識せざるをえない出来事が続きました。
一方、19世紀に産業革命を迎えたアメリカ は、増大する鯨油の需要に対応するため、捕鯨船の寄港地を確保 する目的をもって、 日本の開国と通商条約締結を目指して艦隊を 派遣しました。
1853年のペリー来航、 翌年の日米和親条約の締結 により、日本の鎖国は終わりを迎え、幕末の動乱は激化していきます。
1858年に、幕府はアメリカ、オランダ、ロシア、イギリス、フランス の五か国と、 神奈川 (横浜) をはじめ5港の開港、自由貿易や 協定関税、領事裁判権などを条約国に対して認める修好通商条約 (安政の五か国条約) を締結し、翌年以降も他のヨーロッパ各国と 同様の条約を結びました。
これら一連の対外的な動きにより、 1868 年の新政府樹立と前後して、 日本には諸外国の使節団や大使が 訪れています。
列強各国からの圧迫を平和的に解決しようとした選択は、結果的に幕府に対する国民の不満を高め、 なかには排外 的な思想をもつ人々も少なからずいました。
日本の歴史が大きく動いた時代を、 一線を引いた立場で見つめた 異邦人たちはどのように記録したのでしょうか。
幕末から明治初期に かけて、激動のなかで育まれた異文化交流のエピソードと共に紹介 します。
山のように本があるので、これからもいろいろな企画展が展開できそうですね。
近くには六義園もあり、同時に訪問するのも楽しみです。















