史跡

美濃苗木藩遠山氏の城郭・巨大な岩盤の上にある苗木城

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苗木城(岐阜県中津川市)は、木曽川沿いの高低差約170mの巨岩群の上に築かれた美濃苗木藩遠山氏の城郭です。最大の特徴は、自然の巨岩を削らずにそのまま石垣の一部や台座として活用した独特の建築様式にあります。本丸跡には巨大な岩盤を跨ぐように懸造(かけづくり)の天守が建てられていました。

赤土を混ぜた赤壁で作られていたことから「赤壁城」の別名も持ちます。天守跡に設置された展望台からは、眼下に流れる木曽川や日本百名山の恵那山を一望できる絶景が広がっており、国の史跡および「続日本100名城」に選定されています。

遠山資料館のパンフレットに印刷されていた地図です。とても見やすいので掲載しました。

城へはA1の有料駐車場に停めて向かいました。

解説

苗木城は, 中津川市内を東西に貫流する木曽川の右岸に一段と高くそびえる城山に築かれていました。

木曽川から山頂の天守跡までの標高差は約170mあります。 岩山の上で利用できる土地の確保が困難であったため、建物の構築方法に懸造 (かけづくり) が使われているなど, 自然の地形を有効に生かして築かれまた山城です。

大永年間(16世紀前期)に苗木の北方にある植苗木(うわなぎ)を拠点としていた遠山氏がこの地に移り住みました。

その後戦国の動乱の中で遠山氏は苗木城を追われますが、関ヶ原の戦いに先立ち遠山友政が城を奪還し、以後江戸時代を通じ12代にわたり遠山氏が城主として治めました。

駐車場から城内に向かう道です。

1            足軽長屋跡

足軽長屋跡

竹門すぐ西側の上段の平地には、表方の足軽が出勤した時に必ず立ち寄る足軽

長屋がありました。 足軽達はまずこの長屋に立ち寄り、その後城内のそれぞれの係り役所へと出向きました。ここには小頭部屋、 稽古場など、三・四棟の建物がありました。

足軽長屋からみた苗木城址はビュースポットです。

龍王院跡

足軽長屋の南側隣地に位置し、「光耀山金厳寺龍王院」 という領主遠山家の祈祷所でした。

真言宗の寺院でしたが、明治元年に廃院とされました。

江戸時代初期以降に作られた切込み接ぎ(きりこみはぎ)の石垣

左側の道が天守に向かう道です。

2            風吹門跡

風吹門跡

2階が 「飼葉蔵(かいばくら)」 として使われていた風吹門は大手門とも呼ばれ、城下か三の丸への出入り口でした。門の南側に門番所が併置され、昼夜を問わず人の通行を監視していました。城主の在城の時は開門していましたが、江戸詰で留守の時は締め切られ、潜り戸が利用されていました。

風吹門は苗木遠山資料館に実物が保存されていました。

苗木城のぼり口にある中津川市苗木遠山史料館

3            大矢倉跡

3階建ての大きな矢倉。御鳩小屋とも呼ばれていました。

4            駈門(かけもん)跡

駈(か)る=駆(か)る、みたいでした。

動物や人をせき立てて移動させること。

有事の際に「武者(兵士)がいち早く城内へ駆け出せるように設けた門」であることに由来しているようです。

5            牢屋跡

牢屋跡

苗木城に牢屋は一つしかなく、三の丸と二の丸を区切る大門の左側の奥にありました。

建物の規模は、二間(約4m)、 四間 (約8m)程の大きさで、日があまり当たらない大きな岩の上に建てられていました。

明治初年頃に起きた苗木藩の政争の際には、上層武士がこの牢屋に収監され処断されました。

6            大門跡

大門跡

苗木城の中で一番大きな大門は、2階建てで、三の丸と二の丸とを仕切っていました。

門の幅は二間半 (約5m) 程で2階部分は物置に利用されていました。 領主の江戸参勤の出立時などの大きな行事以外は開けず、普段は潜り戸を通行していました。

7            御朱印蔵跡

御朱印蔵跡

切石できっちりと積まれた石垣の上に建てられていた御朱印蔵には、将軍家から代々与えられた領知目録や朱印状など重要な文書や刀剣類が納められていました。

これらの収蔵品の虫干しは、年に一度必ず行われ、 蔵への出入りには梯子が使用されていました。

8            綿蔵門跡

綿蔵門跡

本丸へ上る道をさえぎる形で建っていた綿蔵門は、夕方七ツ時 (午後4時)以降は扉が閉められ、本丸には進むことができませんでした。

年貢として納められた真綿が、門の2階に保管されていたことが名前の由来となっています。

 

9            坂下門跡

坂下門跡

この門は、礎石と手前の石段が、現在でも状態よく残されています。

坂道の下にあったので、坂下門と呼ばれています。また、別名を久世門といい、これは三代領主友貞の奥方の実家で、苗木城改修の際に力添えをした徳川家譜代の名家、 久世家の名からきていると伝えられています。

10        菱櫓門跡

11        千石井戸・本丸口門跡

千石井戸·本丸口門跡

苗木城内の井戸で一番高い場所に位置するこの井戸は、高所にもかかわらず、どんな日照りでも水が枯れることがなかったと伝えられており、千人の用を達するということから千石井戸と名付けられています。

千石井戸の西側にある本丸口門は、本丸と二の丸の境となる門で、総欅で建てられていたことから、欅門とも呼ばれていました。

千石井戸の北側には、 懸造りの小屋が並んでおり、渋紙蔵、山方蔵、郡方蔵などがありました。

12        武器蔵跡・具足蔵跡

武器蔵跡・具足蔵跡

武器蔵は、 八間 (約16m)、三間(約6m) 程の土蔵でした。 建物の長さから別名を八間蔵といい、 大名遠山家が 所蔵していた鉄砲や弓などの武器類 が納められていました。 一部の土台 が崩壊しているものの、現在でも礎石や縁石が往時のまま残されています。

具足蔵は、本丸口門から見て右側の崖上にあり、二間三尺 (約 4.9m)、三間 (約6m) 程の建物でした。

ここには領主の具足や旗が保管され、別名を旗蔵とも呼ばれていました。

13        玄関口門跡

玄関口門跡

玄関口という名のとおり、この門を抜けていくルートが、天守への正 式な道でした。

この門の先には土廊下の建物が続いており、 奥は小屋とつながっていました。

通常は鍵が掛けられていて、ここから中に入ることは禁じられており、鍵は目付役が管理していました。

14        本丸玄関跡

本丸玄関跡

本丸玄関は、天守台より一段低い位 置にありました。 そのため玄関を入ると、苗木城の特徴の一つである懸造りの千畳敷を通り、回り込むようにして南東側から天守台へ入りました。

玄関には玉石が敷かれていたことが 絵図に描かれており、整備前の調査で も、多くの玉石が確認されました。 この石敷きはその玉石を利用して復元したものです。

玄関の右側にある巨岩には柱穴があり、この巨岩から外へはみ出す形で建 物 (絵図の居間の部分)が建てられていました。

 

15        苗木城天守建物

苗木城天守建物

苗木城の天守は二つの巨岩にまたがる形で作られ、三層となっていました。

地階部分は「天守縁下」と呼ばれ、板縁を入れて二間 (4m)、二間半 (5m) 程の広さで、岩の南西側隅にありました。

1階の 「玉蔵」 は、 建物の床面積が三間四方 (6m×6m) 程でした。 ここには地階と2階に通じる階段がありました。

2階部分は巨岩の上にあり、四間半 (9m)、 五間半 (11m) 程の大きさでした。 現在設けられている。 木造構造物は、この2階部分の床面を想定し復元したもので、岩の柱穴は当時のものを利用しています。

苗木城天守2階部分は、展望台になっており眺望をお楽しみいただけます。

工事中の橋梁がはっきりと見えました。

2021年10月27日に、品川方面を少し行った「瀬戸トンネル」の工事現場で落盤のため作業員の人が一人亡くなっています。

経路はトンネルばかりと聞いています。工事の安全を祈るばかりです。

苗木城本丸跡

木曽川を天然の堀とした苗木城の本丸は、巨岩重なる岩山である高森山の頂上部 (432m) 一帯にあり、眼下の木曽川から約170mの比高差があります。 ここからの眺望はすばらしく、 正面にはかつての中山道中津川宿の街並とその背後に恵那山 (2,191m)が一際高く聳えています。
右側は根の上高原がある保古山 (970m)に連なり、左側には木曽山系の山並みと東山道の 神坂峠を望むことができます。

 

16        馬洗岩

馬洗岩

天守台跡の南下にあるこの大きな岩は、馬洗岩と呼ばれています。

絵図に「この石廻り二十三間弐尺」とあり、周囲45m程の花崗岩質の自然石です。

かつて苗木城が敵に攻められ、水の手を切られた時に、この岩の上に馬を乗せ、米で馬を洗い水が豊富であるかのように敵を欺いたことが名前の由来となっています。

反対側から見るとこんな感じ。

17        笠置矢倉

笠置矢倉跡

本丸からみて西側にある矢倉で、通常は何も置かれていませんでした。

矢倉は、3層の懸造りで巨岩の上に建てられていました。 ここからの眺望は良く、笠置山が正面に見えることから「笠置矢倉」 と呼ばれています。

福山雅治さん主演の映画 「ブラック・ショーマン」 の ロケ地のひとつとして、 苗木城跡が使用されました。 福山さんや共演の有村架純さんが訪れ、 歴史ある城跡 で撮影が行われました。

写真は 「笠置矢倉」 で撮影されたシーンの一コマです。

18        二の丸

 

19        的場跡

的場跡

苗木城には、弓の稽古場としての的場が本丸と二の丸の2か所に設けられていました。

二の丸にあるこの的場は、領主居間 の南側の一段低い所にあり、 長さ30m. 幅7m~8m 程で、剣や槍、鉄砲の稽古 も行われていました。

残っている的の土塁は長さ3m、高さ1m程で、 右側は石垣、 左側と奥は土塀で囲われていました。

天守閣を見上げたところです。

メモ

苗木遠山氏は、江戸幕府において「外様大名」に区分されていました。
これは、関ヶ原の戦い(1600年)より前の時点で徳川家の「直接の家臣(臣下)」ではなく、独立した美濃の地域領主(国衆)であったからです。
しかしながら、関ヶ原の戦いだけでなく、大坂の陣でも松平忠明陣下に属して軍功を挙げるなど、早くから家康に忠誠を尽くしました。
家康に対する長年の功績と信頼から、幕府からは「譜代格(譜代並み)」として遇されました。
そのため、一度も国替え(転封)されることなく明治維新まで苗木の地を治め続けたほか、幕末の第12代遠山友禄の際には外様大名としては極めて異例の若年寄に抜擢されています。

実は登るのは初めてではないのですが、道も整備されてびっくりしました。

城ブームに乗っかって整備されたものと思います。

とても見ごたえのあるお城だと思うので是非一度見学してみてください。

 

 

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