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麒麟は来たのか? 暴力史に見る平和化のプロセス

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NHK大河「麒麟が来る」は一昨日(2021-02-07)、最終回を迎えてしまいましたが、光秀は、平和時だけに現れる麒麟を呼ぶことができず、天下を制したのは、情報戦に通じた秀吉でした。

最終回に近づくにつれ、暗躍する秀吉の姿が協調され、対照的に臣下から裏切られるも虚勢を張り悲しげな信長の姿が目立つようになります。

1        15代将軍・足利義昭

ドラマで、光秀が信長に殺しを命ぜられた足利最後の15代将軍・足利義昭は、本能寺の変時は毛利氏の勢力下の備後国(広島県)鞆(とも)で隠遁生活をしていましたが、信長の突然の退場で転機が訪れます。

鞆の浦はドラマ「流星ワゴン」で、主人公の永田 一雄の故郷となっていました。

 

1587(天正15)年、関白・秀吉の居る京へ上洛を果たしますが、翌1588(天正16)年、征夷大将軍を辞して仏門に戻ります。

秀吉からは山城国槇島(京都府宇治市)において1万石の領地を与えられました。

1592(文禄元)年の文禄の役では、秀吉の要請により、由緒ある奉公衆などの名家による軍勢200人を従えて肥前国名護屋まで参陣しています。

慶長2年(1597年)8月、大坂で死去します。

秀吉はちょうど1年後の1598(慶長3)年8月、62歳で死去しています。

2        麒麟は来たのか

人類は文明が誕生するまでは無政府状態の中で生活していました。

農業をするようになり、定住生活が始ますと同時に集落ができ、次に都市や国家が出来上がりました。

歴史的にはこの移行に伴って、大きな暴力の減少が起こります。

2.1         チンパンジーの生態

無政府状態の人の生態をチンパンジーになぞらえるのは、アダムとイブを祖先と考えている敬虔なキリスト教徒に怒られそうですが、野生のチンパンジーを長期にわたって観察した霊長学者によると、隣接する群れと出会ったときに、集団虐殺に値するような残忍極まりの無い方法で相手の集団を壊滅することがあるようです。

また、殺し合いは同じ群れの内部でも起こります。

オスの一団がライバルのオスを殺したり、強いメスがオスや別のメスの助けを借りて、自分よりも弱いメスの子供を殺したりします。

殺しを伴う攻撃はチンパンジーの正常な行動のレパートリーの一つです。

人とチンパンジーは共通の祖先を持つ種です。

過去の歴史の中で、人はチンパンジーと同じように暴力を行使して生き残った種族である可能性が高いと思われます。

殺しを伴う攻撃性は人の正常な行動のレパートリーの一つでもあるといえます。

2.2         狩猟採集時代の人類

平和な人たちではなかったことは間違いないです。

狩猟採集時代の人々は、狩場や水場等の土地や、燧石(ひうちいし)、黒曜石などの鉱物資源、家畜や貯蔵食糧を奪う目的で相手を襲いまし

た。

しかし、戦闘の理由として最も頻繁に上げられるのは復讐です。

攻撃を行うと復讐を掛けられるとの恐れが、潜在的な攻撃の抑止力としての役目を果たします。

彼らが村を襲ったとき住民を一人残さず虐殺するのは、一人でも行き残ったものが居れば、仲間が殺されたことに対する報復が予想されるからです。

この時代の戦闘による死亡率は14%もあったとのことです。

2.3         国家の出現

パクス・ロマーナ、パクス・アメリカーナなる言葉があるように、ローマやアメリカの覇権による平和形成のことをいいます。

「パクス」は、ローマ神話に登場する平和と秩序の女神です。

ある地域が効果的な政府の支配下に入ったことで襲撃や抗争、武力衝突などが激減することを示します。

強大な力による征服や支配そのものが残虐である場合もありますが、征服された側に蔓延していた暴力はそれを堺に減じられることは当然すぎるほど当然のことです。

2.4         戦国時代から信長、秀吉、徳川の時代へ

戦国時代は隣国によって、攻め込まれる恐れを四六時中抱いていなければなりませんでした。

あるいは、相手にやられる前に先制攻撃を食らわせることも防衛の手段です。

政略結婚や同盟によってこの地域の安泰を図って、何とか自国を収めていましたが、隙をついてのし上がって来る豪族も後を絶ちませんでした。

美濃の斎藤道山、備前の宇喜多直家などは有名な下克上大名です。

尾張の織田も、もともとは斯波氏の家臣でしたから同類です。

覇権を握る帝王不在で、小さな集団が密集して存在すると隣接する集団との抗争が絶えないのはチンパンジー時代からの流れです。

これは現代においても、第二次大戦後、発展途上国の国々がヨーロッパの植民地支配から自由になったとき近代兵器による抗争が勃発したことや、崩壊したユーゴスラビアから発生した国々の間で凄惨な殺戮が行われたことにも表れています。

ドラマの最後に、長谷川扮する明智光秀は、もし自分が失敗した場合には、徳川殿に後を託すとの手紙を、岡村扮する菊丸に渡します。

本能寺の変は1582年ですが、秀吉は、8年後の1590年小田原の北条を屈服させ天下統一を成し遂げます。更に8年後の1598年に秀吉は没します。

天下統一の最後の仕上げは小田原城攻略でした。

 

秀吉が信長に変わって天下に君臨するのはたった16年間の事です。

その後、関ケ原の戦い(1600年)で勝利した家康が、江戸幕府を開闢しますが、当時の人たちにとって見れば、秀吉の時代は夢の様に過ぎ去っていったことでしょう。

徳川幕府は260年続きます。江戸時代の平和をパクス・トクガワーナと呼びますが、徳川の時代になって、麒麟がやって来たことを示唆する場面でした。

日光東照宮は江戸から丑寅(鬼門)の方角にあり、家康の墓が平和を見守っています。

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