夏になると「最高気温 館林市〇°」と天気予報でよく名前をきく館林市。
館林駅近くに日清製粉グループの「製粉ミュージアム」があるということで 初館林訪問です。
しかし・・・・
コロナ禍の影響でミュージアムは開館日時の短縮、人数制限中。
・開館時間は10時~12時(入館は11時30分まで)、13時~16時30分(入館は16時まで)。
・見学は、1グループ4名まで。
午後の見学時間まで何をしようかと迷っていたら、駅構内の柱に面白そうな案内を発見しました。
(地図は簡単に行けそうだけど・・・)時間まで少し散策をすることにしました。
目次
無料で楽しめる観光レンタサイクルぽんチャリ
まずは観光案内所のある館林駅東口に出ました。
駅前のオブジェは童話「ぶんぷく茶釜」のたぬき&巨人軍の分福球場の碑
観光案内所で館林の見どころをきいて外に出ると 案内所のガラスに「無料レンタサイクル」の文字を発見。
早速 レンタル場所を探して 自転車を借りに行きました。
メモ
【ぽんチャリ】
館林市では、観光で市内を巡るかたのために無料で自転車を貸し出しています。
貸し出し場所は市内4か所。*身分証明書掲示が必要。
館林駅に近いのはTATEBAYASHI HILLS HOTEL(館林ヒルズホテル)です。
館林駅東口を出て右手側に1~2分進むとあります。
ホテルの受付で申込書を記入。身分証明書を提示してから鍵を借ります。
大人用の自転車がここには10台あります。
歴史の小路をサイクリング
メモ
【歴史の小路】
館林駅前から旧鷹匠町(現大手町)までの歴史的な建造物を結ぶ約 1.5km の散策路です。
館林は、江戸時代 榊原家・徳川家・松平家・秋元家など親藩、譜代の七家の大名が約260年間藩政に携わってきました。
天正年間10万石で入城した徳川四天王の一人榊原康政が石垣や天守を持つ近代的な城に造り変えました。
5代目将軍徳川綱吉公は、将軍就任以前の寛文元年(1661)から将軍となる延宝8年(1680)までの19年間館林の城主でした。
まちなかには町屋の雰囲気を残し歴史的風情にあふれた建物や、旧藩士住宅など、貴重な文化財が点在しています。
館林駅東口のロータリーから 歴史の小路が始まっています。
竜の井(たつのい)
城沼にある竜神の妻が、かつてここにあった寺を守るため、この井戸に姿を消したという伝説から「竜の井」と名付けられたと言われています。
以前、この一帯は善導寺の境内でしたが、昭和61年館林駅広場の整備に伴って、寺は移転。
現在は本堂前にあったこの井戸とイチョウだけが残っています。
毛塚記念館(けづかきねんかん)
毛塚家は江戸時代末期、丸木屋本店という屋号で造り酒屋を営んでいました。
昭和29年に分福酒造と改称しています(現在、工場は野辺町)。
館林旧城下町に残る本格的な町屋の建物で、平成10年に国の登録有形文化財に指定されました。
かつては、敷地内にある井戸から取水しお酒をつくっていたようです。
外池商店(とのいけしょうてん)
屋号は和泉屋といい、江戸時代中期、近江の国(滋賀県)から移り込み、造り酒屋を営んでいました。
明治33年には、味噌、醤油の製造業を行っていました。
現在の建物は、昭和4年に建てられたもので、毛塚記念館と同様町屋の特徴を備えています。
旧館林二業見番組合事務所(きゅうたてばやしにぎょうけんばんくみあいじむしょ)
二業とは、芸者さんの置屋と料亭のことで、見番はそれらの取次や料金の精算、取り締まりをしたところです。
一階は事務所、二階には芸者さんの稽古場であった舞台付の36畳の大広間があります。この二業見番は、木造建築物として全国で数カ所しか残っておらず、非常に文化的価値が高い建物です。
平成28年に国の登録有形文化財に指定されました。
NHKドラマ「昭和元禄落語心中」のロケもここで行われました。
鷹匠町長屋門(たかじょうまちながやもん)
江戸時代、この周辺は鷹狩りに用いる鷹の訓練や養育に従事する鷹匠が住む「鷹匠町」として、多くの武家屋敷が立ち並んでいました。
「長屋門」とは、江戸時代以降の武家や豪農の屋敷に造られた門の様式の1つで、門の両脇の長屋は使用人の部屋や物置などに使用されました。
「鷹匠町長屋門」は市内の豪農の家にあった長屋門の木材を活用し、この場所に新しく造られました。
鷹匠町武家屋敷武鷹館(たかじょうまちぶけやしきぶようかん)
一般公募により、「武鷹館」と名付けられました。
敷地内には「旧館林藩士住宅」「長屋門」「付属住宅」があり、平成 11 年度に館林市の重要文化財に指定されました。
旧舘林藩士住宅
田中正造記念館
足尾鉱毒事件の解決に奔走した田中正造の活動を、写真や資料で詳しく紹介しています。
館林には、足尾銅山鉱業停止請願事務所が置かれていました。
土橋門(どばしもん)
館林城の通用口として使用されていた門。
現在の門は昭和 58 年に復元されたものです。
土橋門という名は、門の前に土橋が架かっていたためと言われています。
門の中には蔀土居(しとみどい)が設けられ、外部から中を見えにくくする工夫がなされています。
残念ながら 城の雰囲気が残る建造物は三の丸跡に城壁と土橋門がメインでした。
城址には市役所やホールなどが建てられています。
今回は回れませんでしたが、他にも館林藩主の別邸「旧秋元別邸」や旧上毛モスリン事務所や田山花袋旧居などを移築した「第二資料館」があるようです。
2時間くらいのサイクリングでしたが、館林の歴史を少しだけ感じられた楽しい時間でした。
1日ゆっくりポンちゃりを借りて、館林の歴史サイクリングはおすすめですよ。