博覧強記

北関東の初詣でよく知られた佐野厄除け大師

スポンサーリンク

栃木県佐野市にある佐野厄除け大師は、天台宗の寺院で、正式名・惣宗寺(そうしゅうじ)です。

年末年始にはテレビCMが多く放送されるため、関東地方の人は行った事は無くても良く知られた大師さんです。

建立は天慶7年(944年)藤原秀郷が、今の佐野城址の地に創建したものと伝えられています。

慶長7年(1602年)佐野城を築くため現在地に移転されました。

佐野城の記事は「栃木県佐野市の佐野城址

1             山門

山でもないのになぜ山門なのでしょうか?

山門は、仏道修行で悟りに至る為に透過しなければならない空、無相、無作の三つの関門を表します。

本来は、三門ですが、山門と書かれるのは、寺の多くが山に建立されたことによります。

 

佐野厄除け大師の“大師”は、厄除けで独特の信仰を集めた天台宗の元三大師が祀ってあるからです。

元三大師については 「深大寺の秘仏元三大師像の特別開帳は令和3年秋、東京国立博物館に決まる」の記事を参考にしてください。

 

2             金銅(きんづくり)大梵鐘

派手ですね。元三大師さんもびっくりです。

これが本物の金であれば、お寺の人は夜も寝ないで見張ってなくてはいけないですが、“たぶん”金ではないです。

金は、柔らかいので、鐘をつくのは不適ですし、あらゆる金属の中で比重が一番高いため、例えば同形状の鉄の鐘と比較すると、2.8倍重いです。

このピカピカを見て、心が和む?のが目的です。

黄金趣味の太閤さんでなくても、人は金色を見るとリッチな気分になります。

 

-厄除元三慈恵大師一千年 御遠忌記念事業-

厄除元三慈恵大師一千年御遠忌を記念して建立された「金銅(きんづくり)大梵鐘」は、 人間国宝香取正彦先生によって謹製され、日本一大きな金の梵鐘(つりがね)で、 直径 1.15メートル、重量約2トン、黒塗りの切妻造りの鐘楼(しょうろう)に収められている。

鐘身の片面中央(池の間)に円相(えんそう)をつくり、中に一切衆生の願望を満たし苦しみを救ってくれる、 蓮台上に座る如意輪(にょいりん)観世音菩薩(厄除大師の御本地)

- 立てひざをして、頬杖をつき、一つの手に如意宝珠、またの手に 法輪をもって人々にやさしく語りかけている -。

片面には同じく円相内に如意輪観音の種字(子)であるキリークをあらわす。 そして撞座の左右に男女の童形合掌像が配置されている。

この金鐘をおさめる鐘楼は、日光の国宝修理の権威者で、文化財建築の第一人者といわれた、 故 中里茂先生によって建築設計された。

昭和59年4月完成

 

 

3             菊の展示会

たまたま行った日に、菊の展示会を行っていました。

4             田中正造墓所

田中正造の遺骨は翁と共に終始行動された同志、村民の熱望によって栃木・群馬・埼玉県の鉱毒被害地計6箇所に分骨されたため、各地に存在します。

寺の掲示板には5ヶ所と書いてありますが、1989年(平成元年)に栃木県足利市にあるのが公表され6ヶ所となりました。

惣宗寺は、正造の本葬が行われた寺です。

生前、正造が自然石をこよなく愛していたことから、墓石には渡良瀬川流域産の石が使われています。

5             パゴダ供養塔

 

6             麗水観音

 

ピカピカの観音様を見ると、文化遺産としての価値はなさそうですが、盗難にあったということです。

平成二十四年一月九日未明、盗難に遭いましたが皆様の願いが通じ同年二月二十二日朝、 駐車場(佐野市大町二七三八-一五)に雨の中一人でたたずんでおり、無事に帰ってきました。 奇跡「れいすい観音」と呼ばれております。

「麗水観音」

水は「生死の海」の水を意味する。 即ち私たちの迷いの日常を泥海にたとえたものです。 「南無観世音菩薩」と唱えて救いを求める時「善星皆来悪星退散」の極妙楽の世界が開け「生きる力」を与えてくれる。

 

7             本堂

8             元三大師堂

梁(はり)に貼られた絵が、元三大師を表す絵です。

別名、鬼大師と呼ばれているように、頭から角を生やしています。

行った時は、建物の工事中で、工事の鉄骨が建物を覆っていました。

9             東照宮社殿

東照宮は、元和3年(1617)徳川家康の遺骸を静岡県の久能山から遷葬の際、一泊したのにちなんで建立されました。

造りが他の建物と違います。

 

 

10          唐門

東照宮近く門です。

TV、ラジオでよく聞く「佐野厄除け大師」ですが、初詣で有名な明治神宮や川崎大師と比べると以外に敷地は狭い印象でした。

東京並みの人出があったら、さばき切れない本殿のサイスでしたので、言うほど人は集まらないのではと思いました。

スポンサーリンク

-博覧強記,

© 2022 ふじ・ふじブログ