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JR原宿駅から小田急・参宮橋駅まで明治神宮を散策

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盛夏になる前の6月、JR原宿駅を出発して、小田急・参宮橋駅まで明治神宮内を歩いてみました。

大都市東京に佇む東京ドーム15個分の広さの境内は一瞬、東京にいるのを忘れるくらいこんもりとした緑に包まれています。

かつて、この一帯は土地が荒れ果て不毛の地でした。

明治天皇崩御にともない、「明治神宮の創建」の計画が持ち上がります。

明治神宮鎮座祭は1920年11月、外苑の竣功は26年10月でした。

この神宮の森は、林学者・本多静六他2名が人手を掛けなくても森自体が循環して世代が受け継がれてゆく「永遠の森」を計画して、全国から寄贈された10万本の木を使って人工的に作り出された雑木林です。

 

1        原宿から明治神宮へ

出発はJR原宿駅西口。

駅舎は2020年3月21日にオープンしました。

隣接するのは神宮橋。

神宮橋は大正9年(1920)、明治神宮の造営時に山手線を跨いで架けられ、当時としては珍しく、鉄骨を使用したコンクリートの橋桁であった。橋の装飾は最も苦心したところで、御影石の高欄部分には黒松を吹寄植して橋を渡る人々に下を走る列車を気付かせないよう配慮すると共に橋詰には石燈籠を現代化した親柱を建てた。

多くの人々に親しまれてきたこの橋も、寄る年波には勝てず、60有余年間その使命を十分に果たし、新しい橋に架け替えられた。

新しい橋は古い橋の姿をできるだけ損なわないように高欄は御影石を使って再現し、親柱は当時の石材を補修してそのままの形に復元した。そして、歩道部分の舗装には御影石を組合せてその中に渋谷区の木「けやき」をデザインして配置し、新しい原宿の町にふさわしく明るい感じとしたものである。

昭和57年(1982)9月  東京都

2022年6月時点では、明治神宮鎮座百年祭の記念事業として第一鳥居(南参道鳥居)の建て替え工事中でした。

この鳥居は7月4日から新しいものに変わりました。

工事中の間参拝路入口は本道脇の通路が使用されていました。

 

参拝路を北に進みます。

 

2        明治神宮御苑

南参道途中左側に神宮御苑の東門がありますので、入園料500円を払って中を見学しました。

御苑の報告は 「明治神宮御苑 昭憲皇太后の為に植えられた花菖蒲はみごと」でレポート。

東門から入って、北門に抜けます。

東門です。

 

北門です。

3        大鳥居

御苑の北門から出ると、右手に大鳥居が見えます。

4        枡形

右に進むと、明治天皇と昭憲皇太后の歌の看板があります。

この看板で参道は右に折れます。

この曲がり角は「枡形」とよばれ、一見90度に見えますが、実は88度に設定されています。

末広がりの「8(八)」を並べ縁起を担いだものです。

5        本殿前の鳥居

さていよいよ本殿に進みます。

南門から2回曲がりました。

本殿からなぜ真南に参道を作らなかったというと、真南には代々木公園があるからです。

そしてその代々木公園はその昔、陸軍の代々木練兵場があり参道を通せませんでした。

それで参道の作りがこのような2回曲がりの形になったのです。

6        手水舎

しつらえが、コロナ時代のものになっていて、柄杓(ひしゃく)不要に改造されています。

7        南神門

創建時の明治神宮社殿の設計は伊東忠太が行いましたが、戦災で拝殿の南に建つ南神門・東神門・西神門やその周辺の建物群以外は焼失しました。

下の写真の南神門は創建当時の流造(非対称の切妻屋根で、神社の典型的な建築様式)の作りです。

反対側から見るとこんな感じです。

8        夫婦楠

本殿の西側の楠は一見一つの気に見えますが、2本生えていて、「夫婦楠」と呼ばれています。

この御神木をお参りすると御利益があるということで、お賽銭箱が木の根元に置いてあります。

この楠は大正九年の御鎮座当時に献木され、御祭神の御加護のもと樹勢瑞々しき大樹に育った御神木 であります

両樹木は「夫婦楠」として親しまれ、縁結び、夫婦円満、家内安全の象徴となっております

御参拝の皆様方には、この御神木を通して御祭神のお恵みをお受け下さい

9        本殿

明治天皇と昭憲皇太后をおまつりする本殿です。

戦災で焼失し、昭和33年(1958年)に再建されました。

10     西神門

ここから西神門を出て宝物殿に向かいます。

西神門を潜って門を撮影。対面に東神門も見えます。これらも創建時の建物です。

11     宝物館前広場

休日は家族連れで賑わいますが、休日の広場はひっそりとしていてヨガの団体が瞑想をしていました。

 

 

12     宝物館

明治神宮宝物殿は、御祭神である明治天皇と昭憲皇太后の御物を保存、展示するために建設されたものですが、令和元年、南参道沿いに建設された明治神宮ミュージアムに移されています。

重要文化財 宝物殿

平成二十三年(2011)六月二十日指定

この宝物殿は、明治天皇・昭憲皇太后ゆかりの御物を収蔵・展示するための施設として、明治神宮造営局の大江新太郎が設計を行い、大正10年(1921)に竣功しました。

展示施設の中倉(ちゅうそう)を中心として各建物を左右対称に配置した構成で、正倉院の校倉作りを模した校倉風大床作り等の独特の和風衣装でまとめられています。

また、建物全体を鉄筋コンクリート造りとした和風意匠の建築物ではわが国最初期のものであり、建築技術史上においても重要なものです。

また、神宮外苑の中心的存在である正徳記念絵画館は、明治天皇・昭憲皇太后のご遺徳を長く後世に伝えるために、国民からの寄付金によって、大正十五年(1926)に竣功した建造物

であり、わが国最初期の武術建築として高く評価されています。館内には、明治天皇・昭憲皇太后の御事績を描いた壁画八十面が展示されています。

ともに平成二十三年六勝二十日付で国の重要文化財に指定されました。

 

13     さざれ石

宝物館前にあるさざれ石です。

珍しいものではありませんが、岐阜県揖斐郡春日村のものは他でも見た記憶があります。

さざれ石

さざれ石は、大小の石灰岩の礫が集まったもので、学名を「石灰質角礫岩(せっかいしつかくれきがん)」と言います。

もともと小さな石、「細石(さざれいし)」の意味ですが、長い年月をかけて雨水などに溶けだした石灰分が沈着し、小石を凝結して少しずつ大きくなってできます。

やがてそれが国歌、

君が代は 千代に八千代に さざれ石の巌と なりて 苔のむすまで

に詠まれているような立派なさざれ石となって地上に表れるのです。

この石は、国歌の由来となったといわれるさざれ石を算出した、岐阜県揖斐郡春日村の山中で採取され、奉納されたものです。

昭和三十七年十月二十六日

岐阜県揖斐郡春日村より奉納

 

14     至誠館(武道館)

 

15     西参道の鳥居

この鳥居から出ました。

ここから小田急参宮橋駅に向かいます。

ゆっくりと歩いて半日コースでしたが、たっぷり森林浴を楽しみました。

今回明治神宮ミュージアムが展示替えのため閉館していたので次回は寄ってみたいと思います。

 

16     明治神宮100年の森物語

神宮の森を作り出した、3人の天才 本多静六とその弟子の本郷高徳、上原敬二の壮大なる計画が絵本となっています。

太古の原生林を目指し、そのために必要な膨大な木は、国民に寄付を呼びかけました。

日本中から10万本、279種類の木が集まりました。

木を植える作業にはのべ11万人の青年団が全国から集まります。

最初に植えた木の半分は松や檜などの針葉樹でした。

やせた土地に強く、神社の風景として見栄えも良い針葉樹で森の基本的な形を作ります。

そして、その下に将来森の主役になるシイ、カシ、クスノキなどの常緑広葉樹を配置して、更に秋になると葉が赤や黄色に色づいて目を楽しませてくれるモミジやケヤキ、イヌシデなどの落葉広葉樹を点在させます。

これは、自然界で起こる樹木の競争を考えての事でした。

10年、50年、100年と経つうちに、成長の早い常緑広葉樹に押されて針葉樹は枯れ、150年経つと常緑広葉樹が主役の原生林のような森になるだろうと考えたのです。

現在、明治神宮は鎮座100年を迎えていますが、最初に計画した森の形に近づいてきています。

100年前に計画した人たちはすでにこの世にいませんが、計画通り森が育っているのは凄いことだと思います。

今の話は下記の絵本の受け売りです。

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