武蔵国は、東京都、埼玉県のほぼ全域と神奈川県の川崎市・横浜市に当たる場所でした。
その広いエリアを奈良時代の初め頃から平安時代の中頃まで統括していたのが東京都府中市にある武蔵国国府でした。
現在、大國魂神社を中心とする一帯が昔の国府のあった場所です。
:フォトさいたまから
大國魂神社境内にある「ふるさと府中歴史館」脇の国府跡の碑。
大國魂神社の境内を出て東にある国府跡の遺跡。
- 国府のまち府中
府中には、奈良時代から平安時代に、 武蔵国の国府が置かれていました。
- 発掘調査で国府を確認
発掘調査の結果、 武蔵国府の具体的な姿や国府をめぐる人々の営みが次第に明らかになってきました。
- そもそも武蔵国とは
武蔵国は、現在の東京都、埼玉県のほぼ全域と神奈川県の川崎市 横浜市の大部分を含む広大な国で、 21もの郡を管轄する大国でした。
- 武蔵国府とは
武蔵国の行政・文化の中心が武蔵国府です。 いわば、 現在の都道府県庁のある場所といえます。
■ 国庁とは…
国司が儀式や政治を行う中心的な役割を担った役所の中枢施設をいいます。 (現代でいえば、 東京都庁の知事部局)
国衙とは…
国庁の周囲に設けられた国の行政事務を行っていた役所群をいいます。(現代でいえば、 東京都庁の本庁舎全体)
国府とは…
国庁、国衙を含めた役所に勤務していた役人の館や、兵士等の宿舎、 市、学校、 百姓の民家などを含む範囲全体のこと。 (現代でいえば、 東京都庁周辺の新宿副都心の範囲)
大国玉神社の南には国府の国司たちが暮らした国士館と、江戸時代の徳川家の府中御殿があります。
また、そのうちに行ってみたいと思います。
大國魂神社のレポートは以下です。