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駿府城の歴史---駿府城巽櫓資料館から

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駿府城は徳川家康が晩年を過ごした城として有名です。

しかしながら、明治以降埋められ、現在は遺構の調査が進められています。

今回は、駿府城巽櫓資料館の展示物の写真を元に、駿府城の歴史を辿ってみたいと思います。


  • 今川時代

    元を辿ると室町時代に駿河守護に任じられた今川氏によって、造られた今川館が起源となります。


  • 天正期駿河城

    家康は天正13年(1585)から駿府城築城に着手し、天正17年(1589)には 駿府城天守・城郭が完成しています。


  • 秀吉時代

    その後、秀吉に関東移封を命ぜられると、城は秀吉家臣の中村一氏が主となります。


  • 関ケ原後

    関ケ原の戦い後の慶長6年(1601) 家康の異母弟ともいわれる内藤信成が駿府城主に任ぜられます。

    慶長12年(1607)3月に家康が入場しますが、同年12月 失火により御殿・天守など本丸の全てを焼失してしまいます。


  • 慶長期駿河城

    慶長13年(1608) 天下普請によって本丸御殿・天守等完成します。

    寛永9年(1632) 城主の徳川忠長が蟄居先の高崎城で自刃すると、以降は幕府直轄として城代が置かれます。


  • 寛永の火災

    寛永12年(1635)には火災により天守を失いましたが、以降再建されることはありませんでした。


  • 宝永の地震

    宝永4年(1707)宝永地震では、建物や石垣の多くが損傷を受けました。


  • 安政地震

    宝永地震から約150年後の、安政元年(1854)の安政地震では建物の殆どが倒壊し、三の丸石垣の6~7割が崩壊してしまいます。


  • 明治維新後

    明治維新後は徳川家が再び城主となります。


  • 陸軍駐屯地

    明治22年(1889)に廃城となり、その後陸軍歩兵第34連隊の駐屯地となります。

    この時、本丸周辺の掘が埋め立てられてしまいます。


  • 現在

    2023年現在は発掘調査中です。

    発掘現場の報告は 駿府城跡天守台 発掘調査現場見学


駿府城関連については下記でレポートしています。

駿府城の歴史---駿府城巽櫓資料館から

2023年の大河『どうする家康』ゆかり静岡市歴史博物館

駿府城二の丸堀をぐるっと一周 葵舟

 

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