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旧弘前市立図書館・旧東奥義塾外人教師館・ミニチュア建造物・郷土文学館

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弘前城のついでに城の南西にある市役所周辺にある観光スポットに立ち寄りました。

何といっても外観の綺麗さは旧弘前市立図書館ですが、そのほかにも弘前市山車会館、

旧東奥義塾外人教師館、市内にある/あったミニチュア建造物の展示、郷土文学館など見どころがいっぱいです。

弘前市山車会館につては別の記事をアップしています。

 

1        旧弘前市立図書館

明治39年3月に竣工したこの建物は、 斎藤主 堀江佐吉らが東奥義塾の敷地に建てて、市に寄付したものです。

設計・施工は堀江佐吉で、 木造洋風ルネッサンス様式を基調とした手法に和風様式が随所にとり入れられています。

外観は石積基礎に白しっくい塗り壁、屋根はレンガ色の鉄板葺き、各階の軒先蛇腹 窓の形 屋根飾り・八角形の双塔を左右に配して柱型を強調するなど、 洋風技法の水準の高さを感じさせています。

その後、 昭和6年まで市立図書館として利用されましたが、 図書館の移転にともなって堀江家の子孫に払い下げられ、 市内富野町に移築されていたのを平成2年7月市制百周年記念施設のひとつとして、現在の場所に復原したものです。

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一階は旧図書館の形態を復原して公開し、旧図書館の関連資料の展示を行なっています。

二階は郷土の出版社の出版物を展示し、郷土の文学の動向や文芸団体の活動を紹介しています。

また、ビデオ映像によって文学碑めぐりを放送しています。

 

1.1         一階

1.1.1    館長室

1.1.2    婦人閲覧室

昔は、男子と分かれて閲覧していたのでしょうか。

1.1.3    2階への階段

左の塔をらせん状に上がって行きます。

1.1.4    1階廊下

1.2         2階

1.2.1    特別閲覧室

ここで、ビデオ映像による文学碑めぐりを放送していました。

1.2.2    評議室

1.2.3    普通閲覧室

 

 

2        旧東奥義塾外人教師館

1階は喫茶になっています。

ゆっくりと1階でコーヒーをいただいてから2階へ上ります。

雪国の弘前では、ブランコも屋内に欲しかったのでしょうね。

東奥義塾歴代外人教師の写真が展示してあります。

明治の留学生

明治10年 (1877) 6月、 東奥義塾外人教師であるJ.イングの尽力により、 塾生珍田捨己 佐藤愛麿・ 川村敬三・菊池軍之助・那須泉の5名が米国インディアナ州アズベリー大学へ留学のため出発する。

同14年3月、4年間の修学を終え帰国する。

しかし一行の中で菊池軍之助は志半ばで病に倒れ帰らぬ人となった。

また川村敬三も帰国後まもなく不帰の人となった。

その後珍田捨己は東奥義塾教師を経て、 外務省に入り、オランダ公吏・ロシア公吏などを歴任、退官後、宮内省に入り侍従長となった。

佐藤愛麿は、帰国後外務省に入り、オーストラリア・アメリカ全権大使を歴任する。

J・イング

(1840-1920)

明治7年~11年 東奥義塾在職

1840年、 米国イリノイ州で誕生。 インディアナ州アズベリー大学に学ぶ。

明治7年、中国より伝道の帰途、 本多庸一と知遇を得、 来弘となる。

妻ルーシー、 長男ジョニーの他中国人孤児も同行したという。

東北初の留学生に対する尽力、 そして今や日本一の生産量を誇るリンゴの紹介者として、その功績は図り知れないものがある。

1920年イリノイ州ベントンにて生涯を終える。 79歳

追記

1959年日米修好百年祭において、日米関係に貢献した一人として顕彰される。

3        ミニチュア建造物

作られてから、随分立っているようで、かなり劣化が進んでいました。

3.1         弘前市公会堂

大正12年(1923) 建築

1897年ウイーンで始まった芸術革新運動 「ゼツェッシオン」の影響を色濃く受けた建築物。 左右 高低の対置、直線曲線の配置など大阪市公会堂と相似し、弘前への移入の早さに先人の国際感覚と流行に敏感な気質を見ることができる。

 

3.2         旧制弘高講堂

大正12年(1923)

大正9年に設立された官立弘前高等学校。設立当初は仮校舎での授業であったが、大正12年末には講堂を含めすべての建物が竣工し、翌年1月に、本講堂において落成式が挙行された。

 

3.3         旧弘前市立図書館

明治39年(1906)建築

陸軍第8師団諸施設の建設で成功した斉藤

主(つかさ)が資金を提供し、名匠・堀江佐吉が建設。木造3階建てのルネサンス様式を基調とし、八角系のドーム型双塔、石積基礎、軒先の蛇腹、屋根飾りなど、洋風技法水準の高さを感じさせられる。

 

3.4         旧弘前市役所

明治25年(1892) 建築

西洋建築を模して建てられた旧弘前市役所は、正面に隅切りされたポーチを設け、屋根は入母屋、外壁は下見板にオイルペンギン。

窓は上げ下げ一窓で、軒に持ち送りをつけて飾り 桜井とし蛇腹を配した。 擬洋風が特徴。

 

3.5         慈善館

大正3年(1914)建築

青森県初の活動写真館として新築された慈善館。

八角の展望台にはドーマーウインドーという屋根窓を設け、2階は上げ下げ窓。窓の上にはペディメントが付いている、和洋折衷様式 の建築物。

 

3.6         青森銀行記念館

明治37年(1904)建築

青森県初の銀行・旧第五十九銀行本店本館として名匠・堀江佐吉が建築。木造2階建て、ルネサンス調の洋風建築を基調としながら、防火のために日本の土蔵造りなぢを取り入れた和洋折衷の優れた建物。国指定重要文化財。

 

3.7         日本基督教団弘前教会堂

明治39年(1906)建築

明治8年(1875)に創設された東北初のプロテスタント教会。

パリーのノートルダム大聖堂をモデルに、クリスチャン棟梁として有名な桜庭駒五郎が設計した。フランスゴシック風、双塔形式で、弘前における洋風建築の秀例。

 

3.8         旧弘前郵便局

明治35年(1902)建築

明治42年に行われた拡張改築では、軒飾りなどな廃され、アーチや付柱、三方の大きなペディメントなどを外回りの装飾として利用し始めた建物。木造のロシア風として知られるが昭和37年に解体された。

 

3.9         弘前昇天協会聖堂

大正10年(1921)建築

イギリス国教会の伝統を受け継ぐプロテスタ

ント系の教会として、米国人、ジェームズ・M・カーディナーが設計、林緑が建設。イギリス方式で積み上げられた煉瓦造りのゴシック建築が見事で美しい鐘の音は今も市民に時を告げている。

 

3.10      菊池薬局

明治22年(1889)建築

明治39年(1906)に創業された菊池薬局。そのシンボルとも云える金看板は、大正12年に一枚板をくり抜き金箔を施したもので全部で12枚あった。この金看板は関東大震災時に数ヶ月かけて店に届けられた。昭和43年新築時に取り外された

 

3.11      弘前金物店

明治16年(1884)建築

津軽家最後の国家老で第五十九銀行の創設者・大道寺 繁禎(しげよし)を筆頭に15人の民間資本よる「弘前農具会社」として発足。屋号の角弘は弘前の「弘」と多角経営の「角」を採り地域の貢献・奉仕の心を盛り込んだ。

 

3.12      「角み」 呉服店

治26年(1393)建築

蓬莱橋から下土手町に移転し建てた堂々たる3階建の洋館。

正面中央にバルコニーと八角塔されている

を上げた白亜の大壁造りで、当時はあたりの商店を圧し、 外装では市内店舗の洋風化を推進する役割を果たしていたといわれている。

 

3.13      旧弘前偕行社

明治40年(1907)建築

藩政時代、鷹狩場や別邸、庭園だったものを、陸軍第8師団の厚生施設として堀江佐吉が請負った最後の建築物。格調高いルネサンス風のデザインが特徴で、弘前厚生学院記念館として、いまも、なお、現役で使われている。国指定重要文化財。

 

4        弘前郷土文学館

郷土出身の著名作家、陸羯南、佐藤紅緑、葛西善蔵、福士幸次郎、一戸謙三、高木恭造、平田小六、太宰治、今官一の9名の関係資料を展示しています。

入口には陸羯南(くがかつなん)のパネルが記念写真用に展示されていました。

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