博覧強記

東京街歩き:夏目漱石旧居跡巡り(猫の家など)

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街歩きで、夏目漱石旧居跡まで行ってきました。

1. 猫の家(文京区向丘2丁目20-7)

「猫の家」は、下記地下鉄駅のどこからも同じくらいの時間でたどり着けます。

・東京メトロ千代田線千駄木駅及び根津駅から徒歩8分

・東京メトロ南北線東大前駅及び本駒込駅から徒歩8分

・都営三田線白山駅から徒歩10分

夏目漱石の「吾輩は猫である」の苦沙弥先⽣宅もここです。

ですので、苦沙弥先⽣は漱石で、小説の中でつぶやいている社会に対する苦沙弥先⽣の不満は当時の漱⽯⾃⾝のそれであると思われます。

この小説自体は、溢れるほどのボキャブラリー、何でもない会話を何でもなくない語彙でとうとうと語る博識の猫が主役です。

この家での苦沙弥先⽣たちの⽇常⽣活を猫視点で皮肉たっぷりに語っています。

時代は、⽇露戦争で戦勝してから2年目の1905年頃のことです。

そんな訳で、夏目漱石旧居跡は通称「猫の家」と呼ばれています。そして、跡地には石碑が建っています。

この石碑に書かれている内容と同じものが、脇の金属の掲示板に記載されています。

実際に、漱石宅には猫もいて、その猫が名前の無い「吾輩は猫」のモデルです。

漱石の家は借家で、大家さんは友人で東大同期の斎藤阿具(さいとう あぐ)です。

斎藤阿具がドイツ、オランダに留学中に借りていた家だったため、2006年の阿具 帰国時には、漱石は他へ転居しています。なので、この場所に住んでいたのはたったの3年10ヶ月なのですが、今では夏目漱石旧居跡と呼ばれてしまっていることに対しては、当時の持ち主の斎藤阿具からすると苦笑ものです。

漱石が住んだ猫の家は現在愛知県犬山市の明治村に移築されたので、そちらに行くと実物を見ることができます。私も、たぶん、見たことがあると思われます。

この地で書かれた漱石の他の小説は「草枕」「坊ちゃん」があります。

「草枕」は、「「山路(やまみち)を登りながら、こう考えた。智(ち)に働けば角(かど)が立つ。情に棹(さお)させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。」と続く冒頭部分が有名です。

1896年-1900年、熊本市の第五高等学校(熊本大学の前身)の英語教師に赴任していた時に⼩天温泉(⽟名市天⽔)へ旅をした経験をもとに書き綴った⼩説ということです。⼤⾃然に囲まれた⽥舎にも、当時の満州事変の影響が表れています。

一度は玉名に行ってみたいと思っていますが、未だ実現できていません。

「坊ちゃん」は、愛媛県尋常中学校(松山東高校の前身)で1895年4月から教鞭をとり、1896年4月に熊本の第五高等学校へ赴任するまでの体験を下敷きにしています。物理学校を卒業した坊ちゃんは四国の中学校に教師として赴任しました。そこで教頭の赤シャツや美術教師の野だいこ、数学主任の山嵐、英語教師の古賀と出会い、義憤に駆られて奮闘する物語です。

斎藤家の土地は日本医科大学に売却されました。

現在は済生学舎ギャラリーとなって、日本医科大学の歴史と沿革が展示されています。

足元の猫の像が「猫の家」の名残を示しています。

入口には、野口英世博士の頭像があります。

福島県耶麻郡三ッ和村(現:耶麻郡猪苗代町)の 高等小学校を卒業して上京し、済生学舎(日本医科大学の前身)に通い、医術開業試験に合格して医師となりました。その後渡米して主に細菌学の研究を行い数々の成果を上げています。

2. 新福寺(文京区白山3-1-23)

漱石は明治16(1883)年、16歳の時、大学予備門(のちの第一高等学校、現代の東京大学教養学部)の受験に備えて英語を学ぶため、成立学舎(予備校のようなもの)に入ります。
その間、この新福寺2階に友人5人とともに下宿していました。

3. 法蔵院(文京区小石川3-5-4)

東京大学英文科を卒業後、東京高等師範学校の講師となり、小石川伝通院のそばの法蔵院に間借りしました。
そしてここから『坊ちゃん』の舞台である松山中学へ赴任しました。

4. 漱石・魯迅旧居跡(文京区西片1-12-8)

「猫の家」の後の転居先です。春日通りから少し入り、新坂を登った 文京区西片1-12-8にあります。

後に、魯迅もこの地で生活しています。

 




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