秩父の夜祭で有名な秩父神社は秩父鉄道秩父駅より徒歩3分の場所にあります。
車の場合は関越自動車道 花園I.C.から約30kmの所にあり、40分程度あります。
参拝者用の駐車場もありますが、休日などは混雑して利用が難しい時があるようです。
ただ、私が行った3月終わりの日曜日の午後はいくつかの駐車スペースがありました。
知恵の神様とされる八意思兼金命(やごころおもいかねのみこと)が祀られています。
正面の大鳥居です。
秩父神社
当社は市の中央の森に鎮座し秩父地方の総社であり延喜式神名帳にものっている二十有余年の歴史をもつ関東屈指の古社であります。
人皇十代崇神天皇の御代々大彦命その祖神 八意思兼命を奉祀したのに始まるといわれております。
一、御社殿 県指定有形文化財。
現在の社殿は、天正二十年德川家康の寄進により建立されたもので見事な権現造りです。
特に、「つなぎの龍」と「子育ての虎」は名工「左甚五郎」の作といわれています。
一、御祭神
八意思兼命(やごころおもいかねのみこと)
政治学問・工業・開運の祖神
知知夫彦命(ちちぶひこのみこと)
郷土開拓の神
天之御中主神《あめのみなかぬしのかみ》
宇宙創造神俗に北斗七星の神として妙見様といわれる。
秩父宮雍仁親王(ちちぶのみややすひとしんのう)
一、神祭礼
三月 節分祭(古式による鬼やらい行事が行われる)
四月 四日御田植祭
七月二十日 夏祭り(川瀬祭り)
悪疫払いの行事 神輿を荒川にもみ込み、屋台・傘鉾も曳きまわされる。
十月三日 秩父夜祭(冬李例大祭)
日本三大曳山祭の一つで国指定重要民俗資料
秩父祭屋台・傘鉾六基が県果指定無形文化財の秩父屋台はやしのリズムに乗って街中を夜を徹して曳かれる。
①子育ての虎
社殿南面に彫刻される虎は、徳川家康公の本殿再建に由来しており、 家康公は寅にまつわる人物と伝わっています。 「寅の年、寅の日、寅の刻」 生まれ、 関東入国も庚寅年であったそうです。
また左甚五郎作と伝わる「子宝子育ての虎」の彫刻では、母は
彪柄(ひょうがら)で彩色表現されており、江戸時代の文化を今に伝えています。
②お元気三猿
社殿西側の猿の彫刻は、 大変珍しい庚申信仰の逆説をあらわす「見る・聞く・話す」 の姿をしています。
「サル」は、 「魔がさる」 の語呂から「災い除け・病除け」の信仰が古くから伝わり、更に本殿の同方角には「桃仙人」 「キジ」 「イヌ」が見え、あたかも昔話の「桃太郎」 を窺わせる面白い配置を見る事が出来ます。
③ 北辰の鼻
社殿北側中央に、鳥の彫刻が見えます。
この鼻、体は正面(南面)を向きながら、首だけ180度反転し、 北に輝く北極星(参見さま)を拝しながら大神様を守護しております。
学問の神様である当社御祭神の
八意思兼命(やごころおもいかねのみこと)の御神徳(ごしんとく)と鼻の頭が回転していることから、 智恵のシンボルとして、合格・学業成就・心願成就を願う方々のお参りを頂いております。
④ つなぎの龍
社殿丑寅の方角には、名工・左甚五郎と伝わる青い龍の姿を見る事が出来ます。
その昔、夜な夜な近くの天ケ池に社殿から抜け出しては暴れたため、績で繋ぎ止められたという伝説があります。
実は社殿西側にも龍の彫刻がありますが、 東側のだけが鎖で繋がれているのです。
東西の龍を見比べて見て、その謎を解かれてみては如何でしょう。
ここが社務所。
「瓢箪から駒」について
秩父夜祭の神様は、お神輿ばかりか御神馬に乗ってもお旅所にお渡りになることから、毎年十三日には本物の馬二頭が奉納御神幸にお供をしています。
それにちなんで、当社では「妙見御神馬守り(勝守り)」を授与しています。
よく知られている馬に関する諺「瓢箪から駒が出る」というのがありますが、意外なところから意外な発見や出会いがあるかもしれないということで、まさに開運招福を意味するところです。
当社の例大祭である秩父夜祭で「ホーリャイ ホーリャイ」と囃して屋台を動かしますが、これはそもそも当社を仙人が住むという伝説の島へ〈蓬萊山〉に準えての呼び方なのです。
ひとつひとつの彫り物の中にも教教の物語が潜んでいるのでありそれにちなんだお守りを身に付けられることで、きっと運気も開かれることと思います。
皆様に幸運を招く標として、当社のお守りをご案内申し上げます。
◎緣起物
「妙見御神馬守り(勝守り)」
初穂料 九百円
秩父神社社務所
神門です。
本殿です。
天正20年(1592年)9月に徳川家康公が社領57石を寄進し、代官である成瀬吉右衛門に建造させたものと伝えられています。
という訳で、規模の割には立派な造りです。
本殿の軒下の木彫りです。
金の壺を持った男は何を表しているのでしょうか。
こちらは釣竿をもっているので、恵比寿さんでしょうか。
拝殿正面左より二つめにある「子宝・子育ての虎」の彫刻
親と子の戯れる虎の姿が彫られています。
「子宝 子育ての虎」左甚五郎作
未だ群雄割拠の戦国時代、当社は甲斐の武田信玄公の手により、永録十二年(一五六九年)に焼失の後、徳川家康公のお力により現在のご社殿が再建されました。
家康公は、寅の年寅の日寅の刻生まれということで、虎にまつわる物語が少なくありません。
それにちなんでか、当社の拝殿前は四面にわたってすべて虎の彫り物が施されています。
特に拝殿正面左より二つめの、子虎とたわむれる親虎の彫刻は、名工左甚五郎が家康公の威厳とご祭神を守護する神使として彫刻したものと伝えられています。
当時の狩野派では、虎の群れの中に必ず一匹の豹を描くことが定法とされていたことから、母虎があえて豹として描かれているのが特徴的です。
いずれに致しましても、子育てにちなんだ虎の逸話は数多く、皆様のお子様やお孫様の健やかなご成長を祈り、親の心得を添えてご案内申し上げます。
親の心得
赤子には肌を離すな 幼児には手を離すな
子供には眼を離すな 若者には心を離すな
お元気三猿
三猿というと「見ざる・言わざる・聞かざる」の意味合いを持つ日光東照宮の彫刻が有名ですが、秩父神社の三猿は「よく見て・よく聞いて・よく話す」の意味が持たれ、表情もまったく違っています。
「お元気三猿」について
三猿といえば日光東照宮が有名ですが、同じ徳川家縁りの御社であるにも拘らず、当社の三猿は日光とまったく違った表情をしています。
日光が古来の庚申信仰にちなんで「見ざる言わざる聞かざる」なのに対し、当社の三猿は「よく見、よく聞いて、よく話そう」ということで、現代の情報化社会にふさわしく俗に、お元気三猿」として皆様に親しまれています。
当社のご祭神である妙見様は、神仏の中心にあって、人間の元気な命を司る神様として永く信仰されてきたことから、特に不老長寿のご利益があると言われています。
今や人生一〇〇年とも言われる高齢化時代この三猿にあやかって皆様がいつまでもお元気で、笑顔の絶えることのない生活ができますよう、参拝の機に「お元気三猿」の特製絵馬やお守りをお受けになり、従前にも増して見聞を深めつつ、家族友人共共に旅の土産話に興じて戴きますようご案内申し上げます。
こちらは繋がれていない西の龍。
東側にある龍は夜な夜な出歩きましたが、こちらは大人しくここに居たみたいです。
本殿北側中央には、「北辰の梟(ほくしんのふくろう)」とよばれる彫刻があります。
体は正面(南面)を向きながら、首だけ180度反転しています。
これは、ご祭神が北辰(北極星)の方向を守護しているからと考えられています。
「北辰の鳥」について
ご本殿北側中央に彫刻された梟は、「北辰の梟」といって、菱川師宣描く有名な浮世絵の「見返り美人」よろしく、体は正面のご本殿に向き、頭は正反対の真北を向いて昼夜を問わずご祭神をお守りしています。
当社のご祭神である妙見様は、北極星を中心とした北辰北斗の星の信仰で、この梟の見ている方角に妙見様が出現することからも、ご祭神と特に縁の深い瑞鳥であると言えるでしょう。
洋の東西を問わず、梟は知恵のシンボルと考えられており、当社のご祭神 八意思兼命が知恵の神として崇敬の篤いことと重ねて、思慮深い神使として社殿北面に施されたものと思われます。
このご利益にちなんで、机上に置いて学業成就の霊力を得る「梟の置物」をはじめ、「梟=不苦労」に通じることから、開運招福の標とし身につけて招福を願う「梟根付守り」など、参拝の記念にお受け戴きますようご案内申し上げます。
天神地祇社(てんじんちぎしゃ)は本殿の裏側にあります。
天神地祇社(てんじんちぎしゃ)について
平安時代から中世にかけて、朝廷の「二十二社」奉幣精度と共に、 全国每に「一ノ宮」「総社」の運営、祭祀の尊重が図られるようになりました。
かつて秩父地方は、知知夫国として独立した存在でありましたが、その当時には既に蔵国に属しており、現在の東京都府中市に鎮座致します大国魂神社(別称六所宮)が武蔵国の総社とされ、その第四ノ宮に当社のご祭神が奉祀されました。
古くから当神社の境内社の一つとされて参りましたこの天神地祇社は、全国の一ノ宮(計七十五房)をお祀りしています。
これほど多くの一ノ宮の神々を、境内社としてお祀りしている事例は全国的にも珍しいものと思います。
何故、このような形でお祀りされたのかは定かではありませんが、一説によると当社のご祭神である八意思兼命(やごころおもいかねのみこと)が多くの神々の意見を緩められ、折々のご聖断を下される神様として古典神話の中で活躍されていることから、たくさんの一ノ宮の神様がお祀りされたとも云われています。
ともあれ、これも秩父の歴史風土に深く根差した独自の信仰の表れであると云えるかもしれません。
この天神地祇社それぞれのご神前にお参りすることによって、合せて全国の一ノ宮を遙拝することになりますので、ご案内申し上げます。
秩父神社社務所
秩父に古くから伝わる龍の伝説をモチーフにした「つなぎの龍」です。
その昔、夜な夜な近くの天ケ池に社殿から抜け出しては暴れたため、鎖で繋ぎ止められたという伝説があります。
実は社殿西側「お元気三猿」の上にも龍の彫刻がありますが、 東側のだけが鎖で繋がれているのです。
この写真では鎖が見にくいですが、左側に足がありますが、よく見ると足に鎖が巻かれています。
「つなぎの龍」左甚五郎 作
その昔、秩父札所十五番少林寺近くに、「天ヶ池」という池がありました。
その池に棲みついた龍が暴れた際には、必ずこの彫刻の下に水溜りができていたことからこの彫り物の龍を鎖で繋ぎ止めたところ、その後、龍は現れなくなったという不思議な伝説が伝わっています。
ご本殿東側の鎖で繋がれた青い龍の彫刻こそ、この伝説に語られた「つなぎの龍」の姿なのです。
昔から日本人は家や地城の四方を青龍・朱雀・白虎・玄武という神使が守っていると信じてきました。この彫刻も、当社の東北(表鬼門)を守護する青龍の姿を、名工左甚五郎が社殿彫刻に施したものなのです。
往古より家の鬼門に神仏を祀り、家内の安全と子孫の繁栄とを祈ることが行われてきました。
夫婦や親子といった家族の絆が見直されている現代にあって、多くの庶民の願いは今も昔も変わりありません。
この「つなぎの龍」の特製絵馬を各ご家庭の居間や東北の角にお祀り戴き、ご家族皆々様のお幸せをどうぞお祈り下さい。
立派な彫り物を見たところで、終わりです。
本殿の東西南北全方向に彫り物が施され、大変見どころのある神社でした。