博覧強記

重信メイ:レバノンで育ったジャーナリスト

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2020年8月4日、ベイルート港の倉庫に貯蔵されていた大量の硝酸アンモニウムに引火し大規模な爆発事故が発生しました。TVで現地からの報告を見ていると、レポータはジャーナリストの”重信メイ”と名前が出ています。”シ・ゲ・ノ・ブ” ? もしやと思ったのがきっかけです。

重信メイさんは現在ジャーナリストとして、中東関連の仕事をされています。

経歴等については彼女の著書『秘密 パレスチナから桜の国へ 母と私の28年』2002年5月発行から引用します。

 

1        家族

母親

苗字を見て、ピンと来た人には言わずと知れたですが、重信房子です。若い人にはなじみのない人かも知れませんね。

日本赤軍の「最高指導者」として、レバノンを起点にしてパレスチナ解放活動を行い。各地でテロ活動を支援し、国際指名手配されました。しかし、2000年11月8日に日本の大阪に潜伏しているところを逮捕され、現在服役中です。 出所予定は2027年です。

レバノンに滞在中にTVインタビューを受けている映像を見た記憶があります。

父親

パレスチナ人と言うことだけしかわかりません。本人が子供のころには何度か会ったことがあると書いてありましたが、父親として名乗ることはなかったようです。wikipediaでは” パレスチナ人の活動家で、イスラエルとの闘争中にミサイル攻撃により暗殺されたと推測される。”と記載されています。

 

2 生い立ち

出生

1973年3月1日生まれ、子供の頃は日本赤軍仲間で共同生活を営んでいたようです。Wikipediaで調べると25名のメンバーリストがありますが、このメンバー全員が常に一緒にいたとは思えませんが、結構大所帯な家だったのではと思われます。

メイさんはメンバーを家族と呼び、男性メンバーをお父さんと呼んでいたようです。子供はメイさんのほかにメンバーの子供で3歳年下の“みどり”さんと、8歳年下の”つよし”君の3人で、現在は三人とも日本を拠点にして暮らしているとのことでした。(2002年4月)

イスラエルから命を狙われている重信房子に子供がいると分かると、彼女の命が危ないと考えて出生届を出していませんでした。また、パレスチナの活動家仲間も親子関係を徹底的に隠し続けたとのことです。そのため28歳まで無国籍でした。

大学まで

幼いころはパレスチナ難民キャンプ戦争を避けて、ベイルートを離れた戦火のないところで暮らしていましたが、就学年齢が近づくとベイルートの学校に通いました。

中学に通う頃からは母親と一緒に暮らすことが殆どなくなったようです。母親の居場所もわからず、月一回電話で話す程度でした。また、中学高校の6年間(1986年-1992年)は、レバノンではなく、別のアラブの国で過ごしていました。

このあたりは、当時のアラブの情勢と関連します。

レバノン内戦 1975年-1990年

第五次中東戦争とも呼ばれるレバノン内戦が断続的に発生しました。

レバノンのキリスト教勢力(マロン派)とパレスチナ解放機構(PLO)を主力としたアラブ人との内戦。他の宗教各派がからみ、さらにシリア、イスラエルが介入して泥沼化し、約15年にわたって続きレバノンを荒廃させた。

解放戦争  1989年-1990年

反シリア派のアウン首相とシリアとの間の戦争。1990年10月13日にシリア軍が、アウン派を制圧した。

湾岸戦争 1990年勃発

ソ連崩壊 1990年

 

高校卒業後は、ベイルートに戻り、ベイルート・アメリカン大学に入学し、市内の高校に進学した”みどり”とアラブ人姉妹という体で共同生活を始めています。更に、同大学の大学院に進み、レバノン大学でも勉強を続けている。2000年に母親が逮捕されたのをきっかけに日本へ行くことを決意します。2001年3月5日に日本国籍を取得し、同年4月3日に初来日しました。

来日後は

日本語学校に通い、他国の留学生と一緒に勉強しています。日本人ばかりの家で生活していたので、聞くことと、話すことは問題なかったようですが、文字は全く分からなかったようです。

2011年には、同志社大学大学院社会学研究科メディア学(博士課程)を修了し、

現在は河合塾で英語の講師を務めながら(2002年4月 - )、APF通信社に記者・リポーターとして在籍(2004年1月 - )。中東放送センター(英語版)の東京特派員も務めています。(2009年 - )。

3 パレスチナについて

YouTubeでは『革命の子どもたち』という映画の初日舞台挨拶風景が見られますが、その中で、”母親は無罪”という発言がありましたが、これについてはテロ、記憶にあるのは1972年5月30日のテルアビブの銃乱射事件で、関係のない26人を殺害したことに関与していたのであれば、そのような考えは持てないだろうと思います。

しかしながら、本の中にも出てきましたが、車爆弾や、子どもを狙ったおもちゃ爆弾など、イスラエル側もテロ行為を行っていることを思うと、一概に、パレスチナ側のテロ活動だけが責められるべきものでも無いと思います。

中東の火種は第一次世界大戦中にユダヤから戦争資金を引き出すことを目的にイギリスがパレスチナにおけるユダヤ民族居住地建設を約束した(1917年11月)ことに端を発しています。その後ヒトラーがユダヤ民族の絶滅を謳ってホロコーストを行ったことで、ユダヤ民族自体も国家建設が背水の陣となりました。そんなわけで、1948年にイスラエルが誕生しました。

と同時に、もともと住んでいたパレスチナ人は土地も家も取られてしまったため、戦争がはじまりました。そこに共鳴したのが日本赤軍のメンバーという訳です。

そんな戦禍の中をたまたま、重信房子の子供として生まれ28歳になるまで過ごしてきたことは、大変なことだと思います。2つの祖国を持つメイさんにはこれからも中東とレバノンの架け橋となるべく、活躍していただきたいと思います。応援しています。

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