史跡

江戸時代爆発的なブームとなった大山詣で#2

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バス停から歩いてケーブルカーの駅まで歩き。

ゲーブルカーで大山阿夫利神社に向かいました。

江戸時代爆発的なブームとなった大山詣で#1

ケーブルカーは途中の大山寺で一旦停止します。

もともとは、大山全体が、神様と仏様が一体となった「神仏混淆(しんぶつこんこう)」の霊場でした。

しかしながら、明治時代のはじめ(1868年以降)、政府が出した神仏分離令により、神社と寺院を明確に分けることになりました。これに伴い、大山にあった寺院や堂宇は整理され、現在の中腹(下社周辺など)にあった施設が神社(阿夫利神社)となり、大山寺は現在の場所(少し離れた中腹)へと移転・再興されることになりました。

大山阿夫利神社駅です。

○はじめに

本看板は、古来の信仰を背景として江戸時代に花開いた「大山詣り」の先導をしてきた「大山先導師会旅館組合」 の 「先導師」 が中心となり、 参道への献灯を記念して設置されました。 かつて、 先導師に奉納されていた 「板まねき」を模し、それぞれの板には電灯の維持・管理にご協力いただいている講社、 大山で商売をされている方々、個人の方々及び先導師の芳名を記しています。

 

○大山詣り

五雲亭貞秀「相模国大隅郡大山寺雨降神社真景」

神聖な修験の場であった大山が一躍民衆の間で有名になったのが、江戸時代の「大山詣り」です。当時の大山詣りは、同業者や町内会単位 「講」を結成して、 費用を積み立てて年に一度、講員全員又は代表者数名で参拝するもので、帰路の途中で江ノ島や金沢八景を廻って江戸に帰る小旅行であったといわれています。 箱根の関所を越えずに行ける「信仰と行楽」 を兼ねた小旅行は、 それを題材とした歌舞伎や落語、 浮世絵などでも広がり、江戸の町が約100万人の時代に年間約20万人もの参拝者が訪れていたといわれています。

 

○先導師

江戸時代から続く大山詣りを支えてきたのが、先導師です。 先導師は、 阿夫利神社参拝に訪れる講の道案内から食事・宿泊の手配、 年末年始のお札の手配まで一手に担っていました。 一般的な旅館や民宿とは異なり、大山阿夫利神社の分社である神殿や講の名前が彫られた玉垣、 手水など信仰の要素が取り入れられています。 現在も、変わらず「講」の受入れを続けるとともに、個人や団体の登山客や観光客の宿泊施設として現代の大山詣りを支えています。

1946年から1967年まで神奈川県知事を務めた方です。

内山 岩太郎氏顯彰

神奈川縣行政の弊風を匡正し縣知事として地方自治の基礎を確立興隆展せしめたり。

蓋し大志の仁と頌すべく、霊岳に立つ平易の風貌能くに相を表わす。

昭和四十四年

九十八叟

平櫛田中 題書

 

大山阿夫利神社下社

大山阿夫利神社 御祭神大山祇神(おおやまずみのかみ)

高龗神(たかおがみのかみ) 大雷神(おおいかずちのかみ)

大山は、またの名を「あふり山」という。あふりの名は、常に雲や 霧を生じ、雨を降らすのでこの名が起ったといわれる。

標高は、一二五一・七米で、関東平野にのぞんで突出している雄大 な山容は、丹沢山塊東端の独立峰となっている。

阿夫利神社は、古代からこのあたりに住む人達の心のよりどころとなり、国御岳(くにみたけ・国の護りの山)・神の山としてあがめられてきた。山野 の幸をつかさどる水の神・山の神として、また、海上からは羅針盤を つとめる海洋の守り神、さらには、大漁の神として信仰をあつめると 共に、庶民信仰の中心として、今日に及んでいる。

山頂からは、祭りに使ったと考えられる縄文時代(紀元前約一、〇〇 〇年頃)の土器片が多く出土していて、信仰の古さを物語っている。

仏教が伝来すると神仏習合の山となり、阿夫利神社は延喜式内社として国弊の社となった。武家が政治をとるようになると、代々の将軍たちは、開運の神として武運長久を祈った。

引目祭、簡粥祭(つつがゆさい)・雨乞い・納め太刀・節分祭・山開きなど、古い信仰と伝統にまもられた神事や、神に捧げられる神楽舞・神事能・狂言 などが、昔のままに伝承されている。

全山が四季おりおり美しい緑や紅葉におおわれ、神の山にふさわしい風情で、山頂からの眺望もすばらしい。都市に近いため、多くの人 達に親しまれ、常に参詣する人の姿が絶えない。

昭和五十七年十一月三日 (平成十年十月吉日修復)

伊勢原ライオンズクラブ

1.1       御手水舎

御神水について

当社の御祭神大山祇太神は開運守護と地水の祭神であり御霊験あらたかで関八州よりの崇敬を集めております

山内には大神の御霊徳が秘められている貴い御神水が湧出しておりますのでご参拝の皆様のご便宜を図り広く御霊験にふれ心身を清め浄化をして頂く事が出来ますように念願を致しこの御手水舎まで特別施設を以て引水を致しました

なにとぞ御神水を大切にご使用頂き神体の安全と開運家門のご繁栄をご祈願下さい

大山阿夫利神社

 

1.2       参道

1.3       本堂

1.4       地下巡拝道

地下巡拝道入口です。本堂の脇にあります。

大山名水

神泉

浄(きよ)き明(あか)き直(なお)さを象徴する神の恵の泉で湧き出るお水は、山内只一ヶ所の貴重な水源より引水いたしました。

最も清らかな尊いお水です。水は萬物の生々発展の原動力であります。

殖産の泉、長命延寿の泉として御愛用下さい。

さざれ石について

ささん石は国歌に「君が代は千代に八千代にさざれ石の巖となりて苔のむすまで」と歌われているように、小さな石ころが長い年月の間に大きく集結しつつ成長して立派な一個の巖となる貴重な霊石であり、岐阜県春日村の特産で天然記物に指定されています。

このたび奥井石材店の奉献により当巡拝道に特別奉安いたすことが出来ました。

本日は皆様方には折角お心にかけてのご参拝でございますので、このさざれ石の霊験を頂かれて一致団結し御一家がますます強固に無事長久に繁栄されますようお祈り下さい。

明治神宮宝物殿前や山王日枝神社のさざれ石も岐阜県春日村のものでした。

JR原宿駅から小田急・参宮橋駅まで明治神宮を散策

東京街歩き:溜池山王駅界隈 「溜池発祥の碑」と「山王日枝神社」

当所にお祀りいたしました双体道祖神・和合神像は人間生活に最も身近な守り神で常に相擁し手を握りあいつつ里々の境界や道の辻で悪しき神の侵入を防ぐ守り神です。

ご霊験にあやかりて高齢化社会にむけて「ぼけ封じ」をご祈念の上相和して健康への道にご精進下さい。

良く見えませんが、奉納された太刀です。

1.5       浅間社(あさましゃ)

大山阿夫利神社の御祭神である大山祇大神(おおやまつみのおおかみ)の娘である姉妹の神様が一緒に祀られており、親子の絆や良縁の神様としても信仰されています。

1.6       天水桶の奉納

「天水桶(てんすいおけ)」(または天水鉢)と呼ばれる防火用の設備・奉納物です。

埼玉県川越市(旧・武蔵国入間郡川越)の講(参拝団体)や鋳物師(いもじ)、商人たちによって奉納されたものであることを示しています。

しかし、こんな重いものをどうやって運んだんでしょうね。

1.7       夫婦の結婚50周年記念

右側の碑は、夫婦の結婚50周年(金婚式)を迎えた記念として奉納されたことを示しています。

 

1.8       大天狗の碑

大天狗の碑由来

牌は高さ三米巾一米の小松石を使用、台石は田中佐一郎、神保朋世の造型、石工は露木久吉、表面は民族融合の文字と正宗得三郎画伯の大天狗の姿、裏面には女流歌人田中御幸の歌一首と永遠に戦争の悲惨さを封じ込め、乾燥しきった都会悪の塵を洗う、原爆十二年の日にと刻まれてあります。

天狗講初代総講元小生夢坊は敗戦後、米軍占領下で軽薄な世相が氾濫するのを憂えて大山の中腹に大天狗の碑建立を発願しました。大山は関東総鎮護の地、大天狗の邪悪を砕く不動の妙力で戦争反対、民族融合、平和祈願、日本民族の心と未来を守ることを大山阿夫利神社目黒潔宮司、平塚市長戶川貞雄、東京作家クラブ、浅草の会等の有志と共に呼びかけました。賛成した政・官・財・文化人・芸能人は七百人を超え、一九五七(昭和三二)年五月二七日盛

大に建立式典が行われました。

これを記念して毎年五月、社務局祈祷殿で前夜祭、碑前で平和祈願祭が催されます。

平成十三年五月二七日

文化集团 天狗講

 

1.9       豆腐之碑

「豆腐之碑」も、豆腐製造業者で構成される東京都豆腐商工組合が中心となって建立されたものです。

1.10    学童疎開の碑

学童疎開は昭和一九年六月三〇日に閣議決定国民学校初等科三六年生について実施された

川崎市は中、南部二四校の集団疎開先を中郡一四か町村(一部、川崎北西部・津久井郡)に決定 7100余名の該当児童の内 その3200余名をこの大山に疎開させた

すなわち平間 向・富士見・旭町・玉川・宮前・御幸・大師・住吉の九校の児童は同年八月二一~二四日の間に川崎を出発 翌年一〇月 終戦による疎開解散に至るまでこの地で疎開 生活を送った

この像は名状し難い苦の中から祖国の再建を期する当時の幼い子らの姿を現し困難な中で引き受けられた全地域の方々への感謝と平和への誓いをこめて 当時の児童教職員、現教職員(一般市民 そして川崎市の協力によって疎開解散四〇周年を記念して建立した 製作者は圓鍔元規氏である 最後に当地で爆死した米須清博君の霊の安からんことを切に祈る

昭和六〇(一九八五)年八月一五日

川崎市学童疎開記念碑建設実行委員会

1.11    大山阿夫利神社本社登山口

頂上本社へ御参拝・登山の皆様へ

これより神域最奥部につきここで自身お祓いをした後、「道中安全御守」をお持ちになってからお登り下さい。

祓麻(はらいぬさ)を持ち、左、右、左と身体を祓って下さい。

・入山お祓い初穂料 一金 一〇〇円

大山阿夫利神社

下社から山頂の本社まで、歩いて約90〜120分かかります。

本日はここまでで帰りました。

 

1.12    天満宮

学問の神

菅原社

菅原社は俗に天神様とも言われ、学問の神としてひろく崇敬されております菅原道真公、天

善日命を御祭神としてお祀されております。

当社の菅原社は亀戸天満宮の氏子であり、阿夫利神社崇敬講社である、竪川睦太刀講の手により、宗社氏神様の御分霊を奉戴して建立されたお社で、誠に神縁浅からぬ所であり神徳愈々光祓いたしております。

学業成就、受験合格の御霊験にあやかりてご参拝ください。

大山阿夫利神社

 

 

1.13    権田直助の像

幕末から明治前期の国学者・神道家・医者です。

神社再興の先駆者として大山阿夫利神社及び三嶋大社の長に任ぜられています。

1.14    大山獅子(おおやまじし)

江戸時代から信仰を集めた獅子山を再興したもので、「日本三大獅子山(坂東三獅子)」の一つに数えられています。周囲には干支(十二支)の小石像などが配されています。

1.15    客殿

1.16    茶寮 石尊

スイーツやドリンクを提供していました。

1.17    絶景かな

ピラミッド型の美しい山容を持つ大山(標高1,252m) は、 関東一円どこからでもその雄大な姿を望むことができる山として万葉の古(いにしえ)から讃えられ、また信仰の山として人々の崇敬の対象となってきました。

山頂からの素晴らしい眺めは 「関八州の 展望台」 といわれたほどであり、「神奈川の景観50」に選ばれています。 ここ大山阿夫利神 社下社 (標高725m) からも、 相模平野から 相模湾と江の島、 かなたには三浦半島やおよそ 110km離れた房総半島まで望むことができます。 また、周囲の樹々は四季折々にさまざまな 表情を見せ、眺望をいっそう引き立ててくれます。 特に、 大山阿夫利神社下社付近は春の新緑や秋の紅葉が美しいスポットとしても有名であり、毎年多くの人を引きつけてやみません。

この眺望は、海外からも非常に高く評価され ています。豊かな自然や多彩な文化遺産など、 旅行者にお勧めしたい場所を紹介している ミシュラン・グリーンガイド・ジャポン (仏語 改訂第4版)に、「大山阿夫利神社からの眺望」が二つ星として掲載されました。

まるで一幅の絵画を見るような絶佳な眺望 豊かな自然を、後々の人にも楽しんでいただけるよう、大切に守っていきたいものです。

日本遺產

江戸庶民の信仰と行楽の地

~巨大左木太刀在担、「大山詣」~

平成28年4月25日認定

阿夫利神社(現・大山阿夫利神社)

10世紀前半に編さんされたとされる延喜式神名帳にも記された式内社の一つで、大山山頂の本社に石尊大権現を祀っています。

大山寺と並び大山詣りの目的地の一つであり、今でも毎年大山講をはじめ多くの参拝客が訪れ ています。

長く神仏混淆の状況が続いていましたが、 明治政府の神仏分離政策により大山寺が廃され ると、 大山寺の不動堂 (本堂) 跡地に阿夫利神社の下社が建立され、山頂には本社が建て られました。

この神社では、大山祗大神、大雷神、 高龗神の三神を祀っています。 大山祗大神は富士 山に祀られている木花咲耶姫の父とされており、 大山と富士山の両山を参拝する「両詣り」も 盛んに行われました。

山から少し下りた宿坊群の中には神社の社務局があります。 毎年8月末には秋季例大祭が 執り行われ、山から神輿で神を降ろし、社務局まで行列が練り歩く 「お下り」が行われています。

帰りもケーブルカーで下りました。

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