柳田國男の「遠野物語」で有名な岩手県遠野市は、東北新幹線「新花巻」からローカル鉄道、と言ってもJRですが、釜石線で東へ40km、電車で1時間弱、丁度海岸線沿いにある釜石と花巻の中間地点の山の中にあります。
「遠野物語」は、遠野地方に伝わる逸話、伝承などを記した説話集です。
原文は文体が古く読みにくいですが、一度手に取ってみて抵抗のある方は、現代文版も出ていますのでそちらを読むと、さらっと読めると思います。
2014年には遠野に伝わる片角伝説を基にした、中島京子の「かたづの!」という小説が出版され、遠野を舞台にした根城南部氏21代当主・清心尼の女城主として戦いごとを回避する努力を重ねた生きざまが描かれています。
目次
1 新花巻から遠野へ
旅のスタートは、東京から3時間程で到着した東北新幹線「新花巻」駅です。
駅前には、宮沢賢治関係のオブジェがいくつかあります。
下のオブジェは「セロ弾きゴーシュ」です。
さて、釜石線に乗り換えるには、一旦、新幹線のホームを出ます。
JRからJRの乗り換えで、ホームを出てしまうのには違和感はありましたが、新幹線と釜石線は別物のようです。
駅正面を出て左に曲がり、屋根付きの歩道に沿って進むと釜石線に通じる地下道があります。
地下道の中は、銀河の壁の絵が描かれています。
遠野までは770円ですが、無人駅のため自販機で切符を買います。
昔の自販機で、Suicaは使えません、でも「オレンジカード」はOKです。
しかし、「オレンジカード」通称オレカは2013年3月31日限りで発売を終了していましたので、乗車券は実質現金です。
いよいよ「日本のふるさと」東野に向かいます。
夏の期間は不定期に「SL銀河」が走りますが、今はその期間ではないので、普通の電車を使います。
釜石線の駅名表示は全て銀河鉄道をイメージして作成されています。
ちょっとウキウキします。
待つこと20分。来ました。4両編成のワンマンカーです。
車両内は結構綺麗で、床がピカピカしています。
宮森駅を少し行ったところに有名なアーチ橋があります。
路線全体の観光MAPはこちらです。
https://tonojikan.sakura.ne.jp/tonojikan_system_admin/wp-content/uploads/2019/11/web_%E9%81%A0%E9%87%8E%E3%83%9E%E3%83%83%E3%83%97.pdf
電車から撮影できた橋はこんな感じです。
「SL銀河」の運行中はこの橋の近くに、撮り鉄さん達が場所取りをしながら、わんさかと集まっているのでしょう。
車窓は終始こんな感じです。
40分後に、開けた山間の平地にある遠野に着きました。
駅前には柳田國男の遠野物語の碑があります。
そしてちょっと怖い河童が出迎えてくれます。
残念なことに、河童の池は干上がっていました。
遠野には昔、河童が沢山住んでいて、人々を驚かし、いたずらをしていたといわれています。
駅前を真っすぐ歩いて5分程度で、「とおの物語館」に到着します。
後で分かりましたが、こちらは裏口で、反対の表から入ると、柳田國男の胸像があります。
入館チケットは遠野城下町資料館と共通です。
2 遠野座
とおの物語館の中にあります。かつての造り酒屋の蔵を利用した劇場で、地元のおばあさんが昔話を語ってくれました。
演題は 雪女など3話でした。
最後は、どんどはれ(これでおしまい) で終わります。
3 柳田國男展示館
有名な「遠野物語」ですが、柳田が遠野を訪れたのは3回だそうですが、明治42年に、初めて遠野に来たときは上野から夜行列車と人力車で21時間かかったそうです。
昔は大変なところでしたね。
いずれの回も「高善旅館」(たかぜんりょかん)に」宿泊しています。
「高善旅館」は旅館だけでなく、生糸、材木の商売を行っていたため使用人も多く、大きな屋敷でした。
この柳田國男展示館は「高善旅館」を移築したものです。
3.1 1階
おもに主人と家族の住居部分です。
帳場です。
吹き抜けの居間でしょうか。
3.2 2階
2階は客室です。
3.2.1 展示室
3.2.2 客室1
3.2.3 客室2
こちらの客室が賓客用の客室で専用のトイレ付きです。
柳田や、折口信夫、ネフスキーらが宿泊しました。
4 昔話蔵
誰でも知っている、昔話のディスプレイが展示されています。
桃太郎とかぐや姫
座敷童と天狗
はなさかじいさん
塩吹き臼
ネズミの嫁入り
河童の話
触ると影の出るオブジェもあります
5 蔵の道広場
とおの物語館のすぐ近く、「遠野城下町資料館」の前の広場です。
写真では分かりにくいですが、昔城下にあった桝形の跡に石畳が敷いてあります。
6 遠野みやげ
通りに何店舗も「明けがらす」の看板があります。
ズバリ、遠野みやげは「明けがらす」のようです。
暁の空に飛ぶカラスの群れに見えることから「明けがらす」と呼ばれるとのことです。
下に、購入したお菓子の写真を貼ってみましたが、そんな風に見えるでしょうか。
落語の演目の一つに「明烏」というのがありますが、吉原で一夜を過ごした男女の交情の夢を破る、つれないものを意味するものの例えです。また実際に遊郭でも唄にされていたようです。
こんな背景もあるのかもしれません。
柳田國男の時代と比べると、新幹線を使って簡単に行ける場所となりましたが、それでも、民話を求めてここまで来る人はあまりいないと思います。
花巻温泉に寄ったついでに、ちょっと足を延ばしてローカル線の釜石鉄道に乗って遠野までというのもなかなか乙なものです。
花巻関連のブログは以下です。