博覧強記

東京街歩き:江戸五色不動の一つ目黒不動

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目黒不動は正式名称を「瀧泉寺(りゅうせんじ)」と呼びます。

「目黒」の地名は、この目黒不動から付いたとも言われ、JR目黒駅からは徒歩で15分位離れています。

東京には目白・目黒・目赤・目青・目黄の江戸五色不動があり、目黒不動はその一つです。

五色不動のうち目黄不動は下記の写真のように2ヶ所あるため、寺にすると6寺あることになります。

目赤不動の記事はコチラ

江戸時代の目黒不動一帯は参詣者でにぎわう一大行楽地で、寺の門前は沢山のお店が立ち並んでいました。

今は当時ほどの賑わいはありませんが、立派な伽藍は、さすが古寺名刹です。

また、目黒不動周辺は江戸時代 将軍の鷹狩の場所で、雉やウズラなどを狩りに来ました。

有名な目黒のサンマの話は、三代将軍家光が、近くの茶屋で食べたサンマが美味しかったことから「さんまは目黒に限る」という逸話になったという事です。

1.       仁王門

寺の入口はこの仁王門です。左右に阿形と吽形の仁王様が出迎えてくれます。

2.       独鈷の滝(とっこのたき)

仁王門を潜って左手にある池には、2筋の清水が竜口から注がれています。これが独鈷の滝です。

滝前には「水かけ不動明王」があり、参拝者は不動明王像に水をかけて祈願をするのですが、時節柄、参拝の方法として「心の中で柄杓を持って水をかける姿を思い浮かべる」との注意書きが貼ってありました。

開祖の慈覚大師が、持っていた独鈷を投げたところ竜泉が湧きだしてきたとのことです。

そんな訳で、この寺の名称は瀧泉寺です。

独鈷は下の絵のようなものです。帝釈天の武器で、雷を操るとも言われ、他にも金剛力士の武器としても知られています。持ち手の両側に「鈷(こ)」(剣のようなもの)が出ており「煩悩を打ち負かす」ものとされています。

水かけ不動明王です。

ブラタモリでは、「自分の直して欲し所に水を掛ける」ということで、タモさんが全身に水をかけまくってました。

3.       布袋様

4.       六地蔵尊

5.       勢至堂

6.       北一輝先生顕彰碑

簡素な碑です。顕彰とは、功績などを一般に知らせ、表彰することです。

議会を通した改革ではなく、「クーデター」による改革を説き、二・二六事件の首謀者である青年将校らに影響を与えました。

事件には直接関与していませんでしたが、理論的指導者として逮捕され、民間人にも関わらず軍法会議で死刑判決を受けて刑死しました。

法華経の信仰者でしたが、ここ天台宗の寺に碑が立っているのは不思議に思いました。

7.       前不動堂

独鈷の滝の左方にある小堂です。木造の不動明王三尊立像が安置されています。

前不動は、将軍などのVIPがお参りしている時に本堂が立ち入り禁止となっていたので、その時にお参りできるお堂をここに建てたという事です。

江戸時代は、江戸の行楽地として賑わっていたことを示してます。

8.       大本堂

大本堂に行くには急な階段を上がる必要があります

寺に鳥居? と思いましたが、普通の鳥居(明神鳥居)の上部に三角形の破風(屋根)が乗った形をしていて、仏教の胎臓界・金剛界と神道の合一を表しているとされます。山王信仰の象徴であるため、山王鳥居と呼ばれています。

最澄が比叡山に天台宗を開いた折、既に比叡山の守護神として鎮座されていた日吉大神を「山王権現」と称する、神仏習合の信仰です。

本堂に向かって左には白梅。

本堂に向かって右には紅梅が咲いていました。

ご本尊である目黒不動明王は12年に一度 酉年に御開帳なので、通常は見学できません。

次の酉年は2029年ですのでご開帳迄にはまだ8年もあります。

ここでお参りをして裏手に回ります。

9.       大日如来

本堂の裏手に回ると4m近い高さの大日如来があります。

実物を見ると新しそうですが、製作年は天和3年(1683年)なので338年前です。

10.  青木昆陽のお墓

寺の裏口を出て寺と公園の間の道を右手に進むと通り沿いに墓地があり、その中に江戸中期の蘭学者 青木昆陽(1698~1769)の墓があります。

飢饉に備えてサツマイモの栽培を促進するよう八代将軍吉宗に進言し「甘薯先生」と呼ばれました。

寺の境内の中にも青木崑郎の像があります。

毎年10月28日の目黒不動の縁日に『甘薯祭り』が行われます。

帰りは目黒不動前にあるバス停から渋谷駅まで乗って帰りました。

バスを使えば、寺前まで簡単に往復できました。

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