史跡

世界遺産「韮山の反射炉」 資料館新設で見学も充実

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伊豆にある「韮山の反射炉」に行って来ました。

前回訪れたのが25年ほど前。

H27年には長崎の端島炭坑(軍艦島)や鹿児島の旧集成館とともに世界遺産「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」に認定され、その翌年のH28年資料館(ガイダンスセンター)も建てられて、周辺は整備され昔の面影がありませんでした。

入場料は500円ですが、せっかくここまで来たのなら反射炉の建設に関わった江川家の住宅「江川邸」にまで足を延ばしてみましょう。

江川邸の記事はこちら 「韮山反射炉建造に尽力した韮山代官、江川英龍の「江川邸」

「韮山の反射炉」と「江川邸」(単独の入場料は650円)の共通券は800円となります。

1        資料館(ガイダンスセンター)

世界遺産「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」に登録された遺産を年代別に分けると下記のようになります。

韮山反射炉は初期(1850年代)の遺産になります。

1.1         青銅製20ドイムモルチール(2門)

青銅製20ドイムモルチール(2門)

♦江戸時代 伊豆の国市♦

口径20ドイム(cm)のモルチール。

砲身が短いことから「臼砲(きゅうほう)」とも呼ばれる。

明治41年(1908)の保存修理工事の際、陸重 から20ドイム、29ドイムモルチール各2門、並山村が払い下げを受けた。

当時の記録では、このモルチールが並山反射炉製であるため、韮山反射炉とともに永久に保存するよう払い下げを受けたとされている.

反射炉敷地内にある29ドイムモルチールに江川英龍の時代の鋳物師(いもじ)長谷川刑部(はせがわぎょうぶ)の銘があり、江JII家のもとで製造された大砲であることがわかる。

 

1.2         銃剣柵

日露戦争の戦利品の銃で、反射炉の周りに柵を作ってあったそうです。

あまり平和な時代の展示にはそぐわない気がします。

 

銃剣柵

♦明治時代 伊豆の国市♦

明治41年(1908)陸軍による保存修理工事の際に反射炉周囲に設置された柵。

ロシア帝国の制式小銃M1891、銃床を取り外し、連結して柵としたもの。

日露戦争の戦利品を陸軍が国威発揚のために銃剣柵としたと伝えられている。

陸軍から払い下げを受けた「ロシア製スナイドル銃」219挺を材料として韮山村が柵の設置工事を行った。

銃剣柵は、老朽化により昭和60年(1985)の保存修理工事で取り外され、現在は伊豆の国市が反射炉保存の歴史を物語る遺産として保存している。

 

 

1.3         鉄砲方江川家を支えた人々

鉄砲方(てっぽうかた)は、江戸幕府の役職名で、鉄砲の研究、整備および修理を行いました。

当時、海外の技術を積極的に取り入れていた佐賀の鍋島、薩摩の島津や砲術家の高島秋帆、蘭学者の渡辺崋山との親交があります。

鉄砲が最先端の技術であったことが分かります。

 

1.4         韮山反射炉が果たした役割

最初の年表にあったように、明治の産業革命の初期に反射炉が導入されました。

これらの初期の技術が発展して、その後の繁栄がもたらされます。

1.5         竣工当時の模型

直角に配置された炉の内側に シャチ台(鋳造した大砲を吊り上げる設備)と覆い屋(炉を風雨から守る屋根)があります。

 

2        反射炉

反射炉は、1853年(嘉永6)、伊豆下田にて築造を開始します。

しかし翌年に下田に再来航したペリー艦隊の水兵が反射炉建設地内に進入するという事件が起こり、急きょ築造場所が伊豆韮山に変更となりました。

韮山は建設を進める江川英龍の屋敷のあった場所です。

 

1857年から稼働し、大砲を製造し始め、1864年には廃止となります。

しかし驚くことなかれ、ガイドさんの説明によると、ここで造った大砲の歩留まりは4%。

出来上がった大砲の試し打ちでヒビが入ったりしてほとんどが使い物にならなかったようです。

稼働7年で100門作り、4門だけしかモノにならなかったということですので、当時の製鉄技術はまだまだ未熟なものだったと言えます。

近くでよく見ると修復の跡が見られます。

そもそも、煙突を覆う金属の格子自体が補強工事そのものです。

 

炉の中のイラストは以下です。

反射炉と言われるのは、炉体部の内部の天井がドーム状になっていて、石炭などを燃料として発生させた熱や炎を炉内の天井で反射し、一点に集中させることにより、鋳物鉄を溶かすしくみに由来します。

 

左の穴が、鋳物鉄(主に石見、南部産)の投入口で、右の穴が石炭の投入口です。

炉で溶かされた鉄は、こちらの出湯口からどろどろになって出てきて、大砲の型に流し込まれます。

実際に、稼働していたころは、この枠の中は深く掘られ、大砲の型が据え付けられていました。

形に入れられてできた大砲は、砲弾と詰める部分がありません。

反射炉の側を流れる古川の流れを使って、穴をあける作業(鑚開)を行いました。

 

これが古川で、この川も含めて世界遺産なのだそうです。

このあたりが錐台小屋と呼ばれる、砲身をくり抜く小屋が建っていたあたりです。

 

反射炉の近くには大砲の展示があります。

 

反射炉の建築に奔走した江川太郎左衛門英龍(えがわたろうざえもんひでたつ)の像が建っていました。

地元では偉人として子供の頃から教えられていたと一緒に回ったガイドさんが説明してくれました。

 

時節柄、観光客もあまりいなく少し寂しかったですが、その分ガイドさんにはしっかりと説明していただきました。

ガイダンスセンターも見学前の知識を得ることができて良かったです。

 

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