恐山は「比叡山」「高野山」とともに日本三大霊場に数えられます。
中心の寺場所は下北半島の中心の山の中、しかもなんと、27万年前にできたカルデラの中のカルデラ湖の畔にあります。
一般観光客が入山できるのは4月のゴールデンウィーク前から11月の終わり迄です。
冬期は管理人2人を残して、僧侶は、むつ市田名部にある本坊・円通寺に下山しているとのことです。
恐山と言えば、死者を呼び出す(口寄せというそうです)「イタコ」のおばあさんですが、いつもお寺に詰めている訳ではなく、春と秋の大祭の時にだけ、普段は市中で生活している「イタコ」が集結してくるのだそうです。
そもそもイタコと恐山が結びつけられたのは昭和30年から40年代にマスコミがその不思議な力を紹介したからです。
イタコは原則として視覚に障害を持つ女性(昔は天然痘で視力を失うケースが多かったようです)が、青森の風土で生きるための職業でしたが、高齢化の進行と視覚障碍者の減少により、消滅の危機に瀕しています。
詳細は忘れてしまいましたが、昔「うしろの百太郎」と言う心霊漫画で、山深い恐山を歩いてイタコのおばさんに会う話が出てきていた事を思い出します。
当時は、辺境の地でとても簡単に行くことはできないと思っていましたが、今はツアーバスでアッと言う間でした。
霊場恐山は、カルデラ湖である宇曽利山湖(うそりさんこ)を囲む外輪山と、円錐形の火山との総称です。
宇曽利山湖の「うそり」とはアイヌ語の「ウショロ(くぼみ)」に由来します。それが軟化して「おそれ」になったと言われています。
恐山にある菩提寺は、そのカルデラ湖(バスガイドさんは爆裂火口湖と言っていました)の湖畔に建っています。
862年に天台宗の慈覚大師円仁が開基しましたが、1530年に田名部円通寺の僧・覚聚が再興して以来現在は曹洞宗となっています。
目次
1 三途の川
むつ市から恐山街道を登って、恐山のカルデラの中に入ると、まずは湖際に三途の川に架かる太鼓橋が見えます。
宇曽利山湖から唯一流れ出る川に架かる橋です。
老朽化のため現在は、通行止めとなっていますが、いかにもここから冥界入りする雰囲気にさせてくれます。
川を逆に渡ると長生きするそうです。
2 恐山・菩提寺
入山料を払って、恐山の境内に入ります。
恐山奥の院
地蔵菩薩は中心にして不動阿字の本体なり
若し衆生有って是の心を知らば決定して成就す
「仏説延命地蔵菩薩経」より
右の一句は地蔵菩薩と不動明王の二而不二を意味し不動明王は地蔵菩薩の化身というのであります。それ故に当山本尊伽羅陀山地蔵大士を中心に、奥の院地蔵山不動明王、奥の院釜臥山嶽大明神本地釈迦如来が一直線上に奉納され三者が一体であることを意味しております。
当山は伽羅陀山地蔵大士を本尊に仰ぐ霊場であります。 地蔵菩薩の「地」という文字は大地をあらわし「蔵」は生命を産み出す母胎、母の心をあらわしております。
人に踏まれても、ひたすら人をささえていく大地と子の痛みを我が痛みとしてしかとうけとめてくれる母の心こそ地蔵菩薩そのものなのであります。
即ち、釈迦如来の附属を受けた本尊の慈悲心と一切の煩悩を打ち砕く確固たる不動心の現成が蓮華の花びらのような八峰(地蔵山・鶏頭山・大尽山・小尽山・北国山・釜臥山・屏風山 剣の山)に囲まれた蓮華台の如き恐山そのものなのであります。
ご参拝の皆様には「釈迦地蔵不動一体義」の元、右の三聖地をお参りなされる事によって、当山参拝の結願が決定成就されるのであります。
3 来迎の像
来迎とは、「念仏行者の臨終に、阿彌陀仏や諸菩薩が迎えに来て浄土に連れて行くこと。」だそうです。
お迎えに来るのはこの像の仏様でしょうか。
4 六地蔵
地蔵菩薩の6分身をいうそうです。
地蔵が本尊の恐山・菩提寺なので、御本尊さんの分身ということになるのでしょうか。
5 総門
総門を潜って内側から総門を撮影したものです。
6 山門
総門の次は山門です。
扁額には「恐山」の文字が。
7 太鼓橋新設
山門の手前の看板では現在の老朽化した木の橋から、石作りの太鼓橋にするための寄付を募っていました。
8 本堂
本堂が参道脇にあるのは変な気がしますが、ここには釈迦如来像が安置されています。
地蔵殿と呼ばれる御堂が山門の直線上にあり、こちらに安置された地蔵が、このお寺の本尊になります。
9 山門内
山門の内側には宿坊とお風呂(もちろん温泉)があります。
源泉は70℃で、冷ましています。
右手が宿坊と男湯。
昔は露天だったそうです。
左手が女風呂。
宿坊の方には混浴の温泉があるとのことです。
10 地蔵殿
山門からの直線上、地蔵山(331m)を背にして祈願・祈祷の道場とされる地蔵殿が建っています。
地蔵殿には本尊の伽羅陀山地蔵大士が安置されています。
手水舎の隣の子孫繁栄の亀
手水舎
田名部海辺三十三観音巡礼
三十三番札所 恐山 菩提寺
聖観音及び十一面観音
恐山は貞観四年(八六二)に天台宗の慈覚大師によって開山されたと伝えられる。
康正二年(一四五六) 蛎崎の乱(かきざきのらん)の際に焼き払われ、いったん廃寺となるが、享禄三年(一五三〇)に円通寺開山の宏智聚覚和尚が再興した。
観音像はこちらの開山堂に安置され、中央の聖観音、十一面観音ともに円空作で、ナタ彫りという独特の技法で作仏されたものであり、巡礼の結願所としてふさわしい霊場である。
11 地獄めぐり
地蔵殿脇からは噴出した溶岩でできた岩場の「地獄めぐり」が始まります。
近くの湖の水位が高かったころ高温泉が流れ出て岩石の表面部分が溶け、ごとごつの表面ができました。
ここから始まる奇観を仏僧が死後の世界に擬したことにより恐山の人気がでて、多くの参拝者が集まるようになりました。
奥にあるのが大王石(だいおういわ)と言って、閻魔大王に見立てた岩ということです。
地獄めぐり域内から、恐山系で一番高い釜臥山を望みます。
山頂には、北朝鮮のミサイル監視用の通称「ガメラレーダー」が設置されています。
ここからは見えませんが円形の覆いの模様がカメの甲羅のようであることからこうよばれているようです。
山の反対側から撮影した写真は以下のブログに掲載しています。
「旧会津藩藩士が明治維新後に移り住んだ極寒の地「斗南」(むつ)と言うところ」
開山の祖、慈覚大師像がお堂の真ん中に座しています。
岩石に山場を越えると賽の河原と呼ばれる平らな場所に出ます。
ここでは誰ともなく、故人を思い石が積まれるそうです。
平らな地面は、寺院のある所を含め、昔湖の水位が高かった時の湖底だったところです。
八角円堂
賽の河原のお地蔵様がお祭りされています。
夜雨の降った翌朝にお参りに来るとお地蔵さんの衣の裾が濡れていたと言われています。
夜のうちにお地蔵さんが出歩いているという訳です。
ブラタモリでは、このお堂の裏に手ぬぐいや、草鞋、お菓子などが沢山置かれていました。
このお堂の裏は黄泉の国と往来できる路になっていると言われています。
亡くなった人の便宜を図るために誰ともなくおいていくとのことです。
硫黄成分で黄色くなっているお湯の流れです。
死者の供養をしに来た人たちが風車を立ててゆきます。
極楽浜に向かいます。
湖は湖底からガスが噴出し、強酸性(ph2.7程度)のため生き物が生息できないため澄んだものになっています。
東日本大震災の供養塔
エメラルドグリーンの湖畔の白砂は石英の粒です。
石英を多く含む火成岩のデイサイトから強酸性のため他の成分が白く変質し、分解したものです。
再び地獄エリアに。
恐山は常に硫化水素ガスが噴き出しているので、植物は育たず、PCなどの電子機器が壊れてしまうそうです。
地獄-極楽-地獄と遊歩道を一周しました。
亡くなった人への思いを受け止める場所として、この場所があるとのこと。
晴れ渡るお山訪問は、恐山に似つかわしくないとガイドさんが言っていましたが、気持ちの良いツアーでした。