茨城自然博物館は茨城県南西部・利根川近くの広大な湿地帯を利用した野外公園の一画に建っています。
大きな博物館で建物の中身も充実していますが、広い野外もファミリー層には大人気です。
目次
1 菅生沼ゲート付近
沼地はビオトープになって、沢山の水辺の動植物が生息しています。
地図を見ると、沼地には散策用の通路が渡されています。
菅生沼(すがおぬま)の自然
茨城県最大の自然環境保全地域、 菅生沼は総面積が 232ha あります。
菅生沼は、利根川に流れる江川の河口の逆三角州によってせき止められてできた沼です。 沼は北側の上沼(かみぬま)と南側の下沼(しもぬま)からなり、水は飯沼川(いいぬまがわ)から上沼に入り、下沼を通って利根川に注ぎます。
近年は土砂の堆積と植物の繁茂により、 水面の部分は徐々に少なくなってきています。
なお、 菅生沼の上沼は坂東市に、 下沼は常総市と坂東市に属しています。
(1975年に茨城県自然環境保全地域に指定されました。)
2 反町閘門橋(そりまち こうもん きょう)
閘門(こうもん)とは聞きなれない言葉ですが、簡単には水位調節をする水門のようです。
反町閘門橋(そりまち こうもん きょう)
この反町閘門橋は、 利根川の逆流による水害防止のため、 明治33年(1900年)、この地点から約2km上流の飯沼川に建設された閘門を復元保存したものです。
閘門は、工学博士笠井愛次郎氏の設計により、水圧による自動開閉の鉄扉を備え、当時としては最新の技術を駆使して建設されました。
当時 (明治30年頃)の飯沼地域は、 利根川の洪水のたびに逆水が進入し、水害を被っていましたが、 この閘門及び堤防の完成により、 飯沼地域の水田は洪水から守られ、この地の保全、 発展に大きな役割を果たしてきました。
その後、昭和30年(1955年) に法師戸水門(ほうしど すい もん)が完成したため、水門としての役目を終えました。
レンガと石材が美しいアーチ型の橋として地域に親しまれてきた反町閘門橋は、河川改修による新たな橋が完成したことにより、 平成3年(1991年)に取り壊されました。
ここに展示してある扉は、建設当時から水害を防いできた実物です。
閘門の上は通路になっていました。
3 古代の広場
この辺りからは高崎貝塚が出土しています。
高崎貝塚は、 自然博物館の野外施設内南側で発見された、 縄文時代から弥生時代、古墳時代にかけて大量の土器片や、住居跡、土杭跡などからなる遺跡です。
調査では、竪穴住居跡59軒、 土杭159基、 溝6条、 井戸6基の遺構が確認されています。
竪穴式住居
竪穴の深さは20~30cmくらいで、わざわざ穴と呼ぶほどのものではありませんが、横穴の対比として考古学で使われているようです。
穴を掘る理由がよく分かりませんが、建物全体が斜めの茅などで葺かれていたので、空間を広くとるために掘ったのではと思われます。
古墳を再現したもののようですが、子供達の遊び場です。
4 化石発掘体験
茨城県内では, 霞ヶ浦周辺から利根川 鬼怒川・小貝川の沿岸地域と, 涸沼の周辺部などで貝化石を採集することができる地層がみられます。
これらの地層は約12万5000年前にできたものです。
ここには工事などでみつかった化石を土砂ごと運んで砂場に入れてあります。
砂の中に混じっている貝やウニなどは実物の化石です。
自然発見工房で道具を借りて、 探してみましょう。
この地層ができたころ
13万~12万年前頃は間氷期(かんびょうき)とよばれる温暖な時期でした。
関東平野の大部分が海になったこの時期の海進を下末吉海進(しもすえよしかいしん)とよび, その内湾を古東京湾とよんでいます。 この地層は、この時期に古東京湾に堆積した土砂からできたものです。
氷期と間氷期のくり返しの第四紀
およそ259万年前から現在までを新生代第四紀とよんでいます。
この時代は気候の変動が激しく、気温が下がり氷河などが発達する氷期が何度もありました。
また, 氷期と氷期の間には、温暖な間氷期という時期もありました。
氷期には地表に氷がふえ, 海水準が下がり海岸線は沖合に移ります (海退)。
間氷期には氷が溶けて海水準が上がり海岸線は陸地に入ってきます (海進)。
化石は語る
この地層の化石からは,昔, この場所が海だったことや, その海がどれくらいの深さだったのか, 水温はどうだったのかなどの当時の自然環境を知ることができます。
また、 今日温暖化が心配されていますが、実際に温暖化が進むとどのようなことがおきるのかを過去の例を通して知ることができるのです。
下末吉海進(しもすえよしかいしん)時代の海岸線です。
約12万5000年前の間氷期に、地球の温暖化によって起きた大規模な海進で、日本各地の平野部に海が進入しました。
その規模の大きさから縄文海進が起きた6000年前よりも下末吉海進が起きた時期(下末吉期)は温暖な気候であったとされています。
横浜市鶴見区の下末吉地域にちなみ命名されました。
5 夢の広場
テントウムシのオブジェが。
子供達は楽しそうですね。
6 芝生広場
ひたすら、だだっ広い。
ところどころに、石っこ賢さんと呼ばれた宮沢賢治の言葉を添えて石が展示してあります。
博物館本館の記事は