目次
1 八坂神社
京都の八坂神社は全国にある八坂神社の総本社です
主祭神は素戔嗚尊(すさのをのみこと)で、太陽神アマテラスとともに生まれ、ヤマタノオロチ退治で有名です。
スサノウは厄払いの神様として信仰されています。
八坂神社は、明治以前は祇園社(ぎおんしゃ)と称し、鴨川一帯の広大な境内地を保有していたため、この界隈のことを祇園と呼びます。
祇園といえば今では京都の繁華街ですね。
祇園の名はもともと、平家物語の冒頭で有名な祇園精舎から来ています。
祇園精舎は、熱心な信者さんがお釈迦様に寄贈した寺で、古代インドにありました。
南楼門から入場すると本殿まで真っすぐです。
舞殿です。
ここで祭事の時に、舞の奉納が行われます。
2023/11/2に行きましたが翌日の11/3が明治祭で、準備のための太鼓が境内に置いてありました。
国宝の本殿のお参りは3列に並んで。
西楼門から広い道路に出て、次の清水寺に移動します。
移動はバスがあまりにも混んでいるため、初乗り500円のタクシーを使いました。
2 清水寺
清水寺も休日は人で一杯です。
タクシーは寺の近くまで行くと帰れなくなるとのことで、大通りで降ろされ、そこから歩いて向かいました。
特に清水寺は、外国人の観光客の方が多ように見えます。
国宝 本堂舞台 江戸初期
「清水の舞台」といわれ、本堂(国宝)の付属建築物で、平安時代の昔から構架されてきた。
現在の舞台組みは寛永十年(一六三三) 徳川三代将軍家光の寄進による再建のままで、欄干親柱の金銅製宝珠に「寛永拾歳」と銘刻されている。
本堂外陣(礼堂)の廊下から南の谷へ間口約1メートル、奥行約10メートルに、長さ5メートル、幅30~60センチ、厚さ10センチの檜板を敷きつめ檜舞台として張り出し(舞台板は20~30年毎に張り替える) 床下は巨大な欅の柱に貫を縦横に通し楔でとめて頑強に支え、いわゆる舞台造りになっている。
建築学的には、懸造りといい、礼堂の下から長短の柱で構築されており、観音様のお住まいとされる南インドの峻険な補陀洛(ポトラガ) 山中の宝殿に実に似つかわしい。
最南端は錦雲渓の急崖に1メートル強の高さで建ち「清水の舞台から飛び下りるつもりで・・・」の諺を生んできた。
本来は本堂に奉祀する御本尊千手観音様に向って舞楽を奉納する、名実共に「舞台」で、現に重要な法要には舞楽、芸能などを奉納している。東西両側の翼廊は、その楽人たちの詰める楽舎である。
この舞台からの、錦雲渓をへだてた向山の子安の塔と阿弥陀ヶ峰の眺めや、京都市街、西山の遠望は、まことに見事である。
左下方には「清水寺」の寺名を由来する音羽の滝がこんこんと三筋の清水を流し、その上手には同じく舞台造りで奥の院(重要文化財)が建つ。
清水寺の宗旨は北法相宗です。
北法相宗は奈良仏教の1つで、経典や教えの研究を目的とした学問宗です。
舞台から下を見下ろすとこんな感じ。
飛び降りると助からなさそうですが、実際に、清水寺の成就院に残る江戸時代の記録では234人が飛び降り、生存率は約85%。
かなりの人が、命を落とさずにすんでいますが、当時は舞台の下に木々が多く茂り、地面も柔らかかった為です。
今は木々もあまりなく地面も硬いので助かる確率は低いと思います。
清水寺の名前の由来にもなった舞台下の音羽の滝は、たくさんの外国人も列をなしてお水酌みの順番を待っていました。
滝の裏側に祀られている不動明王。
音羽の滝
三筋の霊水は大昔より音羽山中より湧き出る清泉であり、創建以来一度も枯れる事なく、今日に至ります。
観音様の功徳水である金色水とも呼ばれ、延命長寿、諸願成就のご利益があるといわれてきました。(霊水 冥加料 五百円)
またここは開山延鎮上人と開基行叡居士が出会った当山の起源の場であり、現在では不動明王をご本尊としてお祀りいたしております。
毎月二十八日の不動縁日には朝七時より山内僧侶が揃い、信者と勤行を致します。
是非とも早朝の荘厳な雰囲気の中、共にご参拝頂ければ幸いです。
合掌
下から見上げた舞台もまた荘厳です。
上の写真方向から見て左側の石垣は、割石を加工し、形や大きさをそろえた石材(粗加工石)を用いた技法です。
以上、京都の人気スポット2ヶ所です。