三島市立公園・楽寿園は、三島駅南口に隣接する約7.5万㎡の市立公園で、明治23年に小松宮彰仁親王の別邸として造営されたことに始まります。
園内には、約1万年前の富士山噴火で流れ出た三島溶岩流の地形や自然林、小浜池などの湧水地が残り、これらは国の天然記念物および名勝に指定されています。
また、明治期の京風建築を伝える「楽寿館」には多数の襖絵や天井画が残り、県指定文化財となっています。
それでは駅前口から入ります。

楽寿園(国指定天然記念物・名勝)
六万㎡におよぶ楽寿園は、小浜池を中心とする富士山の基底溶岩流の末端にあるという溶岩地形と、その溶岩中から数か所にわたって地下水が湧出している現象が天然記念物として指定されている。
また、それとあわせて特殊な地形・地質に人工を加えて生み出された固有の美観が、名勝として指定されている。
しかし、昭和三〇年代から環境変化の激しい国土の中で涌水現象が変化しつつあり、現在その方策を検討中である。
明治二三年(一八九〇)に小松宮彰仁親王別邸がここに築かれ、その後明治四四年李王世子殿下別邸、昭和に入って個人の所有となったが、昭和二七年(一九五二) 三島市立公園 「楽寿園」として市民に公開された。
平成九年十一月
三島市教育委員会

三島大祭り(8/15,16,17)期間中は入場無料でした。


南から来た火山の贈りもの
本州で唯一、フィリピン海プレート上に位置する伊豆半島は、かつては南洋にあった火山島や海底火山の集まりでした。
この海底火山群は、プレートとともに北上し、 本州に衝突して半島になりました。
約60万年前の出来事です。
伊豆半島では、現在も火山活動や地殻変動が続いており、これによって豊かな温泉や湧水などの恵み、 変化に富んだ地形をもつ魅力的な半島が形作られています。

ここは「三島市」
およそ10万年前、伊豆と本州の境界付近に富士山が誕生しました。
約1万前の噴火では、愛鷹山と箱根に挟まれた谷を溶岩が流れ下り、三島付近にまで到達しました。
「三島溶岩」 と呼ばれこの溶岩は、三島市北部の大地を作りだしました。
また、亀裂やすき間の多い溶岩は、地下水の通り道となって、溶岩の末端付近にたくさんの湧水をもたらしています。
湧水は多くのせせらぎを作りしだました。
源兵衛川や桜川などの用水も、 湧水とともに暮らしてきた人々の知恵で、たくさんの工夫がつまっています。
街中で見られる三島溶岩やたくさんの湧水だけでなく、水辺の生き物や湧水を使った特産品などもぜひ楽しんでください。
目次
1 楽寿館

楽寿園内楽寿館(市指定建造物)
この建物は明治二三年(一八九〇)に小松宮彰仁親王の別邸として建てられたものである。
建築様式は全体的に京風の数寄屋造り(茶室風に造った建物)で、今では数少ない明治時代中期の貴重な建造物である。
建築用材も非常に吟味されており、現在では入手困難なものも少なくない。
特筆すべきは、応接用の部屋であった「楽寿の間」の装飾絵画である。
幕末から明治にかけての一流の日本画家の競作が一堂に集められており、県指定文化財となっている。
三島市では、小松宮彰仁親王の別邸として使用された由緒と、国の名勝天然記念物に指定されている園内の一部との照合を考慮し、この建造物を文化財として指定した。
平成八年十二月
三島市教育委員会
三島市指定文化財第十四号
楽寿館
この建物は、明治二十三年、小松宮野仁親王の三島列邸として建てられたもので、江戸初期の数寄屋造り様式を備え、京風建築の手法を伝える明治期の代表的建物です。
内部は、それぞれ異なった趣の各室と、それを結ぶ廻廊によって構成され、建築材料もより吟味されたものが使われて造作もきわめてすぐれたものです。
主室となる楽寿の間には、当時の帝室技芸員や大家の肉筆による装飾絵画(静岡県指定文化財第四八〇号-昭和五十五年十一月二十八日)が襖・板戸、格天井・天袋・地袋などに数多く残されていますが、ほとんどは魚や水鳥、植物などを画材としており、小松宮様の情緒深い心情がうかがわれ、当時の画法なども興味深く見ることができます。
建物周辺は、富士山溶岩流上に実生した自然材と、湧き出る天然の池泉を巧みに利用し、その自然美に人工の妙を加えた築庭がなされています。

建物の前の池はかつて湧水でなみなみとした水が張っていたという事ですが、今は満水になる時期は限られているとのことです。


2 梅御殿
梅御殿
小松宮家の別邸として、 楽寿館とともに築造された木造2階建の建物です。
池に臨む主座敷の床柱に太い梅の木が使われていることから「梅御殿」と呼ばれるようになりました。
高床式書院数寄屋造りの邸宅は、比較的簡素な趣をもっており、 数寄屋意匠による宮家住宅の遺構として貴重です。
純和風の平屋建築ですが、 地形の起伏に合わせて御殿主室の梅の間は一段高いところに位置し、部屋の南側からは小浜池が眺望でき(小松宮の造営当時)、東側の縁では庭園の樹木からもれる月あかりを楽しむことができました。
梅御殿は、平成18年 「登録有形文化財」として登録されました。
「登録有形文化財」: 文部科学大臣が、 国または地方公共団体の指定を受けていない有形文化財のうち、保存と活用が特に必要なものを文化財登録原簿に登録する。

3 深池
このあたりは溶岩だらけの大地です。
深池
この場所は、溶岩トンネルの天井が崩壊してできたと考えられます。
「池底の西側には溶岩トンネルが顔をのぞかせています。
東側にはトンネルに溶岩が詰り、 そこから流れ出た二次溶岩が観察できます。
また、一部は採石されており、 石切り場でもありました。
楽寿園を含むこの一帯は、 「小浜山」 と呼ばれる溶岩露出地で農業には適さず、 古墳時代後期には小型古墳が数多く作られ江戸時代には多数の寺社やその墓域として、あるいは石切場として利用されてきました。
小浜山や市民体育館北側の大場川沿いで産出した溶岩のうち、気泡の少ないものは「三島石」と呼ばれ、 東海道三島宿を横断する用水路の石橋や墓石、石碑、 門柱などに使われ、 現代になって不要になったものが園内のベンチや橋に転用されています。
一方、気泡の多い溶岩は「小浜石」と呼ばれ、 石垣や礎石、緑石 用水路の堤などに利用され、 現在、 園内だけでなく市内のいたるところで見ることができます。
三島溶岩は、街に独特な景観を生み出すだけでなく、 身近な建築材料として三島市の経済発展と都市化の進展を支えてきました。


4 鞍馬灯篭

鞍馬灯篭
これは、 鞍馬石製の灯篭です。
鞍馬石は、 京都府・鞍馬山周辺に分布する閃緑岩 (せんりょくがん・マグマが地下深部でゆっくり冷え固まった「深成岩(しんせいがん)」 の一種)の転石が風化したものです。
採取できる量が少ないため、 高級品として知られています。
現在では採石が禁止されており、「幻の銘石」とも呼ばれます。
また、風化して表面が剥離し、 鉄錆色(てつさびいろ)であることが特徴です。
表面の程よい「さび」 が 「侘び寂び」に通じることから、 茶道の世界で珍重され、日本の庭園には欠かせないものとして、 庭石や沓脱石(くつぬぎいし)、灯篭などに用いられてきました。
5 小浜池





小浜池
◎いつからこのような景色なの
豊かな湧水を誇っていた小浜池ですが、昭和 37 年4月6日に水位0cm(標高 25.69mを0としています) を観測しました。
水位0cm を観測した日から60年以上が過ぎ、 現在は渇水した状況が一年のうちの多くを占めています。
◎なぜ水がないのかな
昭和 30 年代中ごろからの高度経済成長により、 私たちのまわりの環境がとても変わってきました。 (人口増加・工場の増加・宅地開発・道路の舗装 河川工事・田畑の減少・山林伐採 異常気象など) さまざまな原因が重なり、 小浜池は現在の姿になりました。
◎いつ来れば湧水が見られるのかな
例年、梅雨時から11月頃まで、 小浜池に水が湧くことがあります。
また、 富士山の積雪や台風・梅雨時の雨が多いと水が湧き出ることがありますが、 夏でも渇水のときもあります。
近年では、9年ぶりに令和2年7月10日~10月21日の間に満水 (水位が150cmを超えると満水とご案内します) になって以後、令和3年7月7日~10月29日、令和5年6月9日~7月14日、 令和6年6月29日~8月23日及び8月30日~10月7日に満水となりました。
小浜池の水位は、 楽寿園正門及び駅前口の入園窓口や楽寿園ホームページでお知らせしております。

6 楽寿燈籠


次に園内にある三島郷土博物館に向かいます。









