神奈川県秦野市にある桜土手古墳公園に行って来ました。
狭い土地にこんもりと膨らんだ緑の古墳が6基と、石積の復元古墳が1基あります。
古墳は公園を中心に狭い場所に35基もの円墳が密集しています。
公園として整備されている古墳以外に、隣接する日産車体工場内に5基、島津製作所内に1基、残りは調査後埋め戻される等しました。
公園内には展示館がありますが、現在(2020-10-10)は改修中で、再開は11月からということで、見学できなくてとても残念でした。
館内では、調査時に出土した装身具・武器・土器などを展示しているほか、古墳の造営や原始・古代の暮らしなどの映像も上映されているとのことです。
公園に隣接するスペースに20台位の無料駐車場もあります。
目次
1 場所
東名高速・秦野中井ICから北西へ6kmのところにあります。
2 造られた時代
古墳群は、6世紀末~8世紀初頭のもので、古墳時代の代表的な前方後円墳の時代が終わり、円墳や方墳が主流となった終末期古墳です。
この時代中央では大化の改新(645年)を経て、白鳳時代(はくほうじだい)と呼ばれる大和朝廷による中央集権政治が始まっています。
聖徳太子(574年-622年)が辣腕をふるっていたのもこの時代です。
平城京遷都が710年ですので、奈良時代が始まる前までということになります。
3 桜土手古墳公園
下がパノラマ写真です。右端に見えるので展示館。
復元古墳の写真は下です。石室も作られています。
パノラマ写真で見ると、二段築成と呼ばれる下の石垣(葺石[ふきいし])の段の上に石垣を盛った形が分かります。
古墳のイメージは「仁徳天皇陵」のように、一人が埋葬されているイメージですが、実際には入口に積んだ石を取り除き、何度も追葬していたようです。
造るためにはそれなりの時間と労力を必要としたので、豪族といえどもそう何度も古墳を造る訳にはいかなかったようです。
以上が古墳群の様子です。
少し前に群馬の古墳も行ってきました。