史跡

東京街歩き:三鷹の野川沿い 大沢で古民家&遺跡を見学する

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ぽかぽか陽気に誘われて(梅を見ながらお散歩をしよう!)と思い立ち三鷹市にある野川公園へ向かいました。

しかし・・・同じように考える人が多く、公園の駐車場は満車。

東京ドーム8.5個分と言われる野川公園を車窓に見ながら 駐車場を探してGooglemapを見ていると、近くの野川沿いに「大沢の里古民家」を発見。

川沿いには水車もあるらしい。

早速行ってみました。

・大沢の里水車経営農家&水車

大沢の里には駐車場がなかったので、住宅街の駐車場に車を停めました。野川の遊歩道はきれいに整備されています。

少し進むと 水車を発見。

この水車 通称「新車(しんぐるま)」と呼ばれていて、江戸時代の文化5年(1808年)ころに造られ、野川の改修工事で水流が変わるまで160年間利用されていたようです。

なぜ「新車」かというと、上流の相曽浦橋のところに「大車(おおぐるま)」と呼ばれる水車が先にあったからです。

水車は苔むしていて風情があります。遊歩道は梅もちらほら咲いていて、野川公園で梅を見られなかったので ちょっと嬉しい。

大沢の里水車経営農家を見つけましたが、訪れた日は臨時休館中でした。(R3 2/8~3/13まで)

こちらの建物と水車は東京都の有形民俗文化財として指定されていて、水車は日本機械学会から「旧峯岸水車場」として機械遺産の認定を受けています。

・大沢の里古民家「旧箕輪家住宅主屋」

水車から野川の遊歩道を上っていくと、子どもたちが遊んでいる広場が見えました。野川の遊歩道をランニングしたり、野鳥の写真を撮っている人もいます。のどかです。

相曽浦橋の手前に大沢の里古民家がありました。

ここでは水車経営農家と古民家のセットで入館料が200円。しかし、水車経営農家が休館中だったので100円でした。

中は典型的な農家の建て方で「四つ間取り」という田の字に部屋がつながっています。ワサビ菜園や養蚕を営んでいた箕輪さんの家です。

最初に古民家をいったん解体して、構造を調査した後 復元・整備工事の様子をビデオ鑑賞しました。

「藁ぶき屋根」といっても 素材は色々なんですね。藁の結び方も特徴があったり、ちょっと勉強になりました。

そして、一番びっくりしたのが、ここら一帯は湧水に恵まれて、江戸時代から「ワサビ栽培」をしていたということ。

湧水は古多摩川(関東ローム層下に存在)の浸食によってできた自然河川堤防跡の国分寺崖線と呼ばれる崖から湧き出ています。

現在は宅地造成などで、国分寺崖線からの湧水は量が少なくなり、ワサビの生育が難しくなったようです。

他にもワサビ田の様子や箕輪家の歴史などもビデオやパネルで紹介しています。

屋根裏は登れませんでしたが、養蚕をしていたようです。

「ほたるの里」とあるので、国分寺の有名な湧水や深大寺の湧水と一緒で、国分寺崖線沿いのこの辺りの水はきれいなんですね。

・国分寺崖線に造られた出山横穴墓群

古民家を出てお庭をぬけていくと、国分寺崖線に登れる遊歩道がありました。

・横穴墓(おうけつぼ)とは

古墳時代後期、6~7世紀に造られた墓で、給料斜面に横に穴をあけて墓室としています。群在するのが普通で、古墳の横穴式の石室と同様、開閉可能なため追葬ができます。

三鷹市の横穴墓は7世紀後半に造られ、国分寺崖線沿い(東八道路~神代植物園南の崖)に分布しています。

出山横穴墓群8号墓

三鷹市の文化遺産の「出山横穴墓群」です。

8号墓は平成5年(1993年)に発見されました。

入口部(羨門せんもん)の石積み構造が市内では1つだけです。

内部は川原石が敷き詰められており、天井はアーチ形に掘削されていて、道具で掘った痕が一面に残っています。

いろいろな古墳を観てきましたが、小さいながらもこんなにしっかり温度調節をして見学ができるところは珍しいです。三鷹市すごい!!

野川公園の梅散策はできませんでしたが、思わぬところで遺跡や古民家見学ができて 有意義な時間となりました。

このあと 近くにある「近藤勇の生家跡」「天然理心流の道場 撥雲館(はつうんかん)」も見てきました。

こちらは 「東京街歩き:新選組局長・近藤勇の足跡を訪ねて」にまとめてあるので興味のある方は読んでください。

Nuppe

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