京王線 下高井戸駅から三軒茶屋まで走っている路面電車「東急世田谷線」
世田谷のボロ市に行ったり、仕事で何度か使いましたが、最近 可愛い「猫の電車が走っている」と聞いて 久々に世田谷線に乗ってみました。
猫の電車はもちろん 招き猫で有名な「豪徳寺」をイメージしたものです。
実は 豪徳寺には、まだ行ったことがないので、ゆったり路面電車に乗って豪徳寺界隈を街さんぽしました。
目次
東急世田谷線に乗って山下駅へ
小田急小田原線「豪徳寺駅」と東急世田谷線「山下駅」はすぐ近くにあります。
世田谷線では豪徳寺の最寄り駅は「宮の坂」ですが、山下駅近くの商店街で食事をとって、豪徳寺駅の招き猫を見てからブラブラ向かうことにしました。
京王線下高井戸駅から乗った東急世田谷線 なんと来たのはお目当ての「猫でんしゃ」
東急さんが名付けた正式名称は「幸福の招き猫電車」
こちらは降車した山下駅でお顔をパシャリ。可愛いです。
山下駅近くは懐かしい感じの商店街です。
でも よく見ると昔ながらのお店の間に ちょっとこじゃれたお店もちらほら。歩いていて楽しい街です。
今回は昔ながらのお蕎麦屋さんでお蕎麦をいただいてから 豪徳寺駅へ。
近くの公園にも猫ちゃんがいました。寝ていますけど・・・。
小田急豪徳寺駅前の招き猫ちゃんは立派です。
今度は豪徳寺商店街を楽しみながら 目的の豪徳寺へ向かいました。
大谿山(だいけいざん) 豪徳寺へ
世田谷線に沿って歩いていくと こんもり高い木が生い茂る場所が見えてきました。
これは豪徳寺の参道入口です。八重桜がきれいです。
曹洞宗 豪徳寺
豪徳寺あたり一帯 昔は武蔵吉良氏の世田谷城の主要部です。そのころは「弘徳院」という臨済宗の小さなお寺がでしたが、1584年に曹洞宗に転じています。
秀吉の小田原征伐で世田谷城は廃城。この周辺が彦根藩の領地となり、江戸における井伊家の菩提寺となり、寺は豪徳寺と改号しました。
歴代彦根藩主の墓所は国の指定史跡になっています。
招き猫発祥の地と言われる「招き猫伝説」
彦根藩の2代目藩主・井伊直孝が鷹狩の帰り、寺の飼い猫が門内に来るよう手招いていました。
それに誘われ寺に立ち寄ると、突然の雷雨。雨宿りもでき和尚との法話を楽しんだことを感謝して、のちに豪徳寺を井伊家の菩提寺にしました。
豪徳寺では「招福猫児(まねぎねこ)」と呼んで招猫観音を祀っています。
豪徳寺 三重塔
三重塔には招き猫や球で遊ぶ猫の彫り物があったようです。見落としてしまった。
お寺の境内など工事中のところも多かったです。この地蔵堂も灯篭はこれからですね。
井伊家の墓所には江戸で亡くなった2代目彦根藩主 直孝をはじめ、その家族や藩士たちも葬られています。
「桜田門外の変」で水戸浪士に打たれた井伊直弼の墓所は一番奥にあります。
世田谷城址公園へ
参道を通ってすぐのところに 世田谷城址公園があります。
多摩川が造った舌状台地を利用して築城されました。
世田谷城は吉良氏八代、二百数十年もの間 吉良氏の居城として栄え、吉良御所、世田谷御所と呼ばれました。
世田谷郷土資料館の展示パネル
現在は世田谷城の南東端 郭(くるわ)中心として細長く伸びる土塁や堀が残されています。
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「さぎ草物語」で知られる常盤姫は、吉良家の側室としてここに住んでいたという伝説が残っています。
そのお話しから世田谷区の花は鷺草(サギソウ)です。
世田谷八幡宮の土俵
世田谷線を挟んで豪徳寺の反対側に世田谷八幡宮があります。
源氏ゆかりのこの神社は、「江戸三相撲」の名所の1つとされ源義家のころから奉納相撲が神事として行われています。
鳥居をくぐると右手すぐに厳島神社がありました。
参道をもう少し進んでいくと、土俵があります。
石段が観客席になるように土俵を中心に弧を描いて広がっています。
秋季大祭(9月敬老の日前の土、日の二日間)では今も奉納相撲が行われています。
境内に入ると 力石の立て札が目に入りました。
東急世田谷線 宮の坂駅から戻る
帰りは世田谷八幡神社近くの宮の坂駅から世田谷線に乗ることにしました。
けっこうブラブラ歩いたので、宮の坂駅の真ん前にある世田谷区民センター内のカフェ 「BARE PIZZA POCO 宮の坂店」で休憩Time。
ピザが美味しそうでしたが、お腹はそんなに減っていなかったので、コーヒー&いちご入りスカッシュをいただきました。
窓からは世田谷線の電車が見られて ちょっといい感じです。
宮の坂駅前には江ノ電が展示してあり、子どもたちが乗り込んでいました。
帰りは猫ちゃん電車ではなかったけど、ちょっと旅気分が味わえた「世田谷豪徳寺 ブラブラ街歩き」でした。
反対の三軒茶屋行きは猫ちゃん電車が来たので まっいいか。
今年のボロ市の頃には コロナが収束しているといいですね。