JR水道橋駅は神田川の河岸にあり、東口には神田川をわたる現在の水道橋があります。
しかし、江戸時代の水道橋はもう少し東側にありました。
駅の北東の対岸側にいくつかの記念碑もありますので、今回はそれを見て来ました。
目次
1 今の水道橋
水道橋の名は、江戸名所図会によればこの橋の少し下流にかけ樋があったことに由来します。
2 神田上水
錆びて汚くなっていますが碑文があります。
16世紀末に徳川家康が入府した江戸の町は、水の便が悪く、飲料水の確保は大きな問題でした。
水売りと言う商売があったほどです。
この状態を打破すべく徳川家康が大久保藤五郎に作らせたのが神田上水です。
神田上水は、井の頭池の湧水を水源とする,江戸時代初期に造られた日本最古の都市水道です。文京区関口に堰を設けて上水を取り入れ、小日向台下の裾をとおり小石川後楽園の中を抜け、水道橋の東側で神田川を掛樋で渡し神田・日本橋方面に給水されていました。
源流の様子は 「東京街歩き:神田川の源流・井の頭池を散策」 でレポートしています。
端の北東側にあるオブジェです。
水が流れそうな作りになってますが、水気はなく乾燥していました。
3 御茶ノ水分水路
河川が氾濫した時に、増水した水を暗渠に流す分水路が水道橋下流~昌平橋下流までの1,300mに渡って開削されています。
4 神田上水懸樋(掛樋)跡
神田川の北岸で駅から東へ少し歩いて行ったところにあります。
江戸時代、神田川に木製の樋を架け神田上水の水を通し、神田、日本橋方面に給水していました。
明治34年(1901)まで、江戸・東京市民に飲み水を供給し続け、日本最古の都市水道として、大きな役割を果たしました。
この樋は、懸樋(掛樋)と呼ばれ、この辺りに架けられていました。
この絵は、江戸時代に描かれたもので、この辺りののどかな風情が感じられます。
平成8年(1996)3月 東京都文京区
『江戸図屏風』に描かれた江戸時代初期の水道橋