2ヶ月くらいかかりましたが、スティーブン・ピンカーの暴力の人類史(上)を読み終えましたので、備忘録を兼ねて、要旨をまとめておきたいと思います。
太古から現代にいたるまでの人類の暴力史を見ると、現代人がいかに日常、死を意識することなしに平和に暮らしていける恵まれた環境にあるかが分かります。
人生100年時代と言われますが、過去からの先人の積み上げの上に現在の平和が成り立っているという幸せを噛みしめ、今後もこの状況を維持してゆく努力を継続してゆく必要があることが分かります。
目次
1 はじめに
“長い歳月のあいだに人間の暴力は減少し、今日、私たちは人類が地上に出現して以来、最も平和な時代に暮らしているかもしれない。”
本書はその証明のために、人類の暴力の歴史を大量の統計データとともに振り返っています。
2 異国
過去が異国とすると、衝撃的なほど暴力的であり、生きることがどれほど危険であったか、日常生活に残虐性がどれほど深く織り込まれていたかを示しています。
2.1 人類前史
1991年にアルプスの解けかけた氷河の中から掘り出した人間の死体は、5000年前のものでした。
アイスマン「エッツィ」と名付けられたこの男は、闘争の後、何者かに殺害されていたことが判明しました。
1996年ワシントン州ケネウィックのコロンビア川で発見された9400年前の「ケネウィックマン」の骨盤には石の槍先が刺さっていました。
1984年にイングランドの湿地帯で発見された「リンドウマン」の頭蓋骨は鈍器で砕かれ、首は縄で絞められて骨折。
喉にも大きな切り傷がありました。
儀式で生贄となって殺されたのかもしれないです。
他にも殺された遺体が出土するもの多数。
これから、人類史前は人が身体的危害を受ける可能性の高い環境で生活していたことを物語ります。
2.2 ヘブライ語聖書
聖書に描かれた世界の残虐さは驚くばかりです。
まあ、そのほとんどは作り話ですが。
例・エジプトを脱出したモーゼの所業。
金の子牛の鋳造を作って崇めていたイスラエル人3000人を殺害。
約束の地へ向かうイスラエル人と出会ったミディアン人のうち生娘以外は皆殺し。
ヘト人、アモリ人、カナン人、ヘリジ人、ヒビ人、エプス人を皆殺し。
2.3 近代初期のヨーロッパ
2.3.1 グリム童話
子ども向けに書かれた物語ですが、当初の内容は残酷です。
(1) ヘンゼルとグレーテル
ヘンゼルとグレーテルは、口減らしのために親に捨てられました。
ふたりは魔女の住むお菓子の家を見つけますが、ヘンゼルはお菓子の家に閉じ込められました。それは魔女が二人を太らせて食べようとしたからです。
最後は、グレーテルが魔女を竈の中に押し込んで焼いてしまいました。
(2) シンデレラ
シンデレラの二人の異母姉は小さな靴を履くために、母親の助言でつま先やかかとを切り落とします。しかし、血に気が付いた鳩が異母姉たちの目を突いてくり抜き、二人は生涯を盲目で暮らさなければならなくなりました。
(3) 白雪姫
美しい白雪姫に嫉妬した継母の女王は、猟師に森に連れて行って殺すように命じます。
姫が生き延びて戻って来ると、別の方法で殺そうとします。
毒リンゴで仮死状態となった姫が王子によって生き返り、婚礼を行うと、女王は押しかけますが、真っ赤に焼けた鉄の靴を履かされて死ぬまで踊らされました。
2.3.2 マザーグース
暴力シーンの頻度が、テレビ番組より10倍以上あります。
クックロビンもハンプティダンプティも殺されたり、重症を負ったりします。
3 平和化のプロセス
3.1 リヴァイアサンの論理
あらゆる暴力行為には攻撃者、被害者、傍観者という三者の利害関係が存在し、それぞれが暴力に対する動機を持ちます。
攻撃者は被害者を餌食にし、被害者は報復を、傍観者は両者の戦闘による巻き添え被害を最小限にとどめることが動機となります。
攻撃者と被害者は、個人や部族、傍観者は法を行使する権力者をしめします。
リヴァイアサンの論理をひとことで言うと法は暴力に勝る方法だということです。
3.2 人の社会の種類
狩猟採集を行う部族社会では、盗み、姦通、破壊行為、密漁、女性の誘拐、悪化した取引関係、魔術の疑惑、過去の暴力行為などを理由に報復が行われます。
彼らが村落を襲った際、ときとして住人を一人残らず虐殺するのは、一人でも生き残った者がいれば、仲間が殺されたことに対する報復が予想されるからです。
しかしながら、ひとたび中央政府の管理下に入った地域は、抗争や戦闘の数が減り、法廷や裁判所による裁定が下されるため、致死的な復讐が回避されています。
人間の本性には、三つの主要な争いの原因があります。
利益を求めて略奪的な攻撃
安全を求めて先制攻撃
評判を求めて報復攻撃
人々を威圧しておく共通の権力なしに生活している時には、戦争と呼ばれる状態にあり、そうした状態では、継続的な恐怖と暴力による死の危険の中で生活していると言えます。
暴力に関して言えば、初期のリヴァイアサンは、殺人や戦争の犠牲者になる確率は小さくなった反面、今度は暴君や聖職者や泥棒政治家たちに抑えつけられ、言いなりにさせられました。
この問題を解決するには更に数千年の歳月を要することになります。
4 文明化のプロセス
4.1 ヨーロッパにおける殺人現象の原因
中世ヨーロッパの人々は、行動に顕著な幼児性と、あらゆる衝動を抑制する能力が欠如していました。
洗練や自制、作法といった習慣は学習によって身につけなければならないものであり、そうした習慣は17から18世紀のヨーロッパの近代化を通じて確立していきました。
決闘の様子
4.2 暴力と階層
ヨーロッパにおける暴力の減少はまず、エリート階層から始まりました。
上流階級の人々が戦斧(せんぷ:昔の戦いで武器として使われた反った幅のひろい刃のついている斧)を捨て、従者にも武器を持たせず、無礼者や馬車の御者を殴ることも無くなると、中流階級もそれに倣いました。
こうした変化は文明化のプロセスによってもたらされました。
4.3 アメリカ合衆国における暴力
ヨーロッパでは、まず国家が人民に武器を捨てさせて暴力を独占し、その後、人民が国家の体制を受け継ぎましたが、アメリカでは人民が、国家に武器を捨てさせられる前に国家を引き継いでしまいました。
そのため、人民は武器を保持し、携帯する権利を持つという「合衆国憲法修正第2条」の条文が存在しています。
アメリカの歴史の大半を通じて、武力は個人の特権として守られてきました。
4.4 1960年代から1990年代
1960年代はベビーブーマー世代が成人し、人口形態が大きく変化した時代です。
公民権、女性の権利、子どもの権利、同性愛者の権利革命が起きました。
この時代には前世代の社会規範が崩れ、犯罪が増えました。
しかし、1990年代になって、ベビーブーマー世代が社会の中枢を担うようになると、彼らの理念は定着し、家庭や職場、学校、街は社会的弱者にとってより安全な場所となりました。
また、共産主義の崩壊に伴う革命的暴力への幻想も崩れ去りました。
この再文明化プロセスと呼ぶことのできる感性の変化が暴力犯罪の大幅な減少をもたらしました。
5 人道主義革命
5.1 残虐性
古代の人々は自分の仲間の間で苦痛や死があまりにもありふれたものだったので、他の民族の死を低く評価していました。
古代から中世、近代初期まで残虐な刑罰は全く合法的なものとして認められていました。
人々は残虐な行為(処刑)を喜んで見物しました。
5.2 専制政治と政治的暴力
ジョン・ロック (1632-1704)の考え方
権力の座にある人間は、
「自らが作った法に服従すべき義務から自分たちだけは逃れたり、法を作るときも執行するときにも、それを自分たちの私的な利益と合致させたりすることによって、社会と装置の目的に反し、共同体の他の人々の利害と異なる利害を持つようになる。」
誘惑にかられる。
その防止のために、政府の立法権と執行権を分離するとともに、市民が本来の権限を遂行していない政府を転覆させる力を持つべきだと主張しました。
その後、この考え方は18世紀啓蒙思想家のモンテスキューによって三権分立として提唱され、1787年のアメリカ合衆国憲法で実現しました。
国家権力の集中を防ぐため近代国家の原理として広く定着しています。
5.3 人道主義革命の源泉
何千年間も文明の一部として存在してきた残虐な習慣の数々は、ほんの一世紀という短い間に、突然姿を消しました。
魔女の殺害、囚人に対する拷問、異教徒の弾圧、社会規範に従わないものの処刑、外国人の奴隷化等は、極短い間に「あって当然」のものから「ありえない」ものへと変化しました。
人々の感性が変化するにつれて、ある慣行を問題視する思想家は人々の前に姿を現すことが多くなり、その主張を聞いてもらえる機会も増え、世の中に広く受け入れられます。
そうした主張は権力を握る人々に対して説得力を持つだけでなく、街角のバーや茶の間での論議にも入り込んで社会全体の感性にいき渡り、人々の考えを変えて行きます。
やがてその慣行が上意下達により違法化されて日常生活の周辺から消えてなくなると、人々の想像力のなかで現実的な選択の中から消えてなくなります。
オフィスの喫煙が禁止から、考えられないことへ変化したのと同じように、奴隷制や公開処刑などの慣行は、十分な時間が経過してそれを記憶する人が一人も存在しなくなった時点で、もはや想像もできないこととなり、論議の対象でなくなりました。
この原動力は情報と人の流れです。
情報と人の流れが体制を転覆させる破壊力を持つことは、どの時代の独裁者も良くわかっていました。だからこそ、彼らは言論の自由や集会の自由を抑圧しようとしたし、民主主義はそれを基本的人権として守ろうとしました。
都市が台頭し、識字能力が向上する以前には、自由なアイデアが考案されたり、融合されたりすることは難しいことでした。
6 長い平和
20世紀後半には、大国間の戦争が史上類を見ないほど長く回避され、冷戦も消えてしまいました。
過去1000年間のヨーロッパの歴史は、ほとんど戦争に明け暮れていました。
戦争は、ほぼひとりでに起きると言っていい自然の秩序の一部だとみなしていました。
そして戦争で多くの死傷者が出ても、戦争に犠牲はつきもので、名誉で栄光のあるものと考えられていました。
流れが変わったのは民主主義が広がったことによります。
民主国家には情報を進んで受け入れる姿勢と、指導者の説明責任があり、そのために大惨事から学ぶための体制が整っていると考えられます。
戦争が愚かなものだという証拠はずっと前からあったのに、人々は頑としてそれに目を向けることを拒んできました。
覇権をめぐる戦争、宗教戦争、主権を巡る戦争、ナショナリズムやイデオロギーに突き動かされた戦争、そしてその間を縫って起きた多くの小さな戦争と、終盤の二つの世界大戦を経てやっと気づき始めました。
7 新しい平和
7.1 民主主義のハットトリック
ベトナム戦争で、あらゆる面で優位だったにも関わらず、アメリカが、負けたのは、北ベトナムの独裁者がどれだけ敗北し、人命を犠牲にしても再武装して戻って来たからであり、民主主義のアメリカが多くの兵士を犠牲にすることに甘受できなかったためです。
人の命に対する考え方の違いが根底にありました。
今日、戦争が勃発するのはおもに貧困国で、そのほとんどが中央・東アフリカから中東、西南アジア、インド北部を通って、東南アジアへと弧を描く民主国家でない地帯に分布しています。
これらの地帯にはイスラム圏に属する国が多く、イスラム圏は宗教と国家の分離がなされておらず、自国の法律がイスラム法に基づいて作られています。
これらの国は当面、非宗教的な自由主義に変わることが無いと予想されています。
世界全体の衝突は確実に下がっていますが、ことイスラムの世界に限ると衝突はほぼ同じで推移しています。
民主主義的な平和の第二の柱は、貿易、外国からの投資、ひも付き援助、電子メディアへのアクセスなど、グローバル経済への開放性です。
内戦が勃発する確率と激しさを両方とも減少させると考えられています。
国家間戦争、大規模な内戦、ジェノサイドを起こす可能性が低いことは民主主義のハットトリックと呼ばれています。
7.2 国連の平和維持部隊
国連の平和維持部隊は、たとえ小規模な活動でも、当事者たちを「ホッブスの罠」(先制攻撃をされる不安から攻撃すること)から解放することができるため、地域紛争を止めるのに一定の役割を果たしています。
平和維持部隊が配置されると、平和協定の順守を監視して安全を高め、密かな再武装が無いことを双方に保証できます。
また、譲歩する相手が中立機関だという事実によって、双方の面子を保つことができます。
威厳を失墜させたり、プライドを傷つけたりしないで交渉することのできるメカニズムを提供することができることが交渉の核心であると言えます。
下巻については
「暴力の人類史(下)スティーブン・ピンカーの あらすじ」で報告しています。