北浦海軍航空隊は、現在の茨城県潮来市大生地区の北浦湖畔に設置されていた大日本帝国海軍の水上機訓練部隊です。
1941年(昭和16年)に鹿島海軍航空隊の北浦分遣隊として設営が始まり、翌1942年4月に「北浦海軍航空隊」として独立開隊しました。
広大な北浦の湖面を利用し、主に「赤トンボ」の通称で知られる九三式水上中間練習機などを用いて、若き飛行練習生たちの離着陸や旋回といった水上機操縦の教育・訓練を行いました。
しかし戦局が悪化すると実戦化が進み、1945年(昭和20年)には水上機による特別攻撃隊の編成や訓練も実施されました。
同年5月に訓練部隊としての役割を終えて鹿島海軍航空隊に再編統合され、終戦を迎えました。
現在、基地跡の北浦湖畔周辺には「北浦航空隊物故者水難者慰霊塔」が建立されており、かつてこの地で訓練に励んだ隊員や事故で亡くなった殉職者を追悼する平和の史跡となっています。
北浦海軍航空隊跡
この塔は、終戦間近いころに編成された水上機持攻隊の隊員として選抜され、散っていった十五、十六歳の若い航空兵たちへの安息の碑である。
当時の航空兵たちは、休日に限り正門を出て街へ繰り出したりすることを「上陸」と呼んでいた。
それが変わり、平日でも自由に出入りし特攻隊の「魁隊」を編成。
隊員たちは出撃までのわずかな時間の自由を許されたのだった。
旧大生原村(現、釜谷・大生)の湖畔にあった水田や畑など約五十ヘクタールを埋め立てて、航空隊が設立されたのは、太平洋戦争が始まって間もないころだった。
本部や兵舎、格納庫、そして水上飛行機を湖面に降ろすためのスロープや燃料の荷揚げに使われるドッグ等が次々と築かれた。
航空兵たちは「赤トンボ」と称された九十三式中間練習機で湖上に出て、飛行訓練を繰り返した。
終戦を迎え、航空隊の敷地は農地として再び開拓され、現在に致る。
令和元年七月 建之
潮来(いたこ)マリーナ道祖神
潮来マリーナは、旧北浦航空隊跡地で昭和60年に釣り堀業からスタートし、現在に至っています。そして、当時から今日までの歩みを静かに見守っている双体道祖神がこの場所に建立されています。
もとは東京池袋の株式会社建築資材研究社(代表取締役・馬場瑛八郎)の中庭に祀られてありましたが、諸般の事情により移転することになりました。
その話を聞いた潮来マリーナの社長の村山進一氏が、ふだんから信仰心が厚いこともあり潮来マリーナの守り神としてまつることを願い昭和62年に譲り受け移設しました。
道祖神は路傍の神とされ、集落の境や村の中心、村内と村外の境界や道の辻、三叉路などに主に石碑や石造の形態で祀られる神で、村の守り神、子孫繁栄、近世では旅や交通安全の神として信仰されています。
また、道祖神の脇に植えられているサルスベリは、もともと昭和17年に開設した北浦海軍航空隊の入口正面にあったのを移植したものです。
潮来マリーナでは、今後も末永く釣り人や湖のレジャーを楽しむ人々の守護神として大切に守り続けてゆきます。




元は、水上航空機の発着場だったところで、湖面にコンクリートのスロープがあります。


北浦航空隊跡地に作った釣り堀は現在も操業中。
航空隊水難者の慰霊碑です。



