鹿島海軍航空隊跡(かしまかいぐんこうくうたいあと)は、茨城県美浦村の霞ヶ浦南岸に位置する日本海軍の水上機実習訓練施設の遺構です。
1938(昭和13)年に開隊され、終戦まで水上機パイロットの育成などにあたりました。
戦後は大学病院として利用された後、長らく放置されていましたが、現在は「大山湖畔公園」として開放されています。

駐車場から受付に向かいます。

受付で入場券を購入して見学です。
パンフレットを手に見学開始します。
目次
1 自動車車庫
ここは駐車場の横の建物で無料で入れます。


中は休憩室です。
2 霞ケ浦の滑走台
水上偵察機の発着場です。ここも無料で見られます。
湖面に向かって緩いスロープとなっています。


霞ヶ浦にはここ以外にもいくつもの飛行機の発着場があります。
3 本庁舎跡
建物の中を見学します。

戦艦「陸奥」の部品の一部
1943年(昭和18年)6月8日、「陸奥」は原因不明の爆発事故を起こし柱島(瀬戸内海西部の安芸灘の南西に位置する柱島群島の本島)沖で沈没しました。
戦後に浮揚作業が行われ、1970年(昭和45年)には艦体の一部や菊の御紋章、主砲身や主砲塔などが回収され、日本各地で陸奥の装備が展示されました。



鹿島海軍航空隊跡で見つかったもの。
何が残っているの?
ここは時を止め残された湖畔にある空の遺跡です。
街の中に戦争史跡が点在する市町村の例は多くありますが、ほとんどの場合で、新たな建築物などの中に残存するのみで、当時の搭乗員が見ていた景色をそのままに、時を超え私達が感じる事が出来る史跡群は全国でも稀で、 鹿島海軍航空隊跡は特異な事例と言えます。
敷地の中には、多数の海軍時代の痕跡が残ります。 是非探してみて下さい。
非公開の史跡
2022年、 笠間市の筑波海軍航空隊の跡地では、 全長3キロを超える 「地下通路」 や 「地下無線室」 などが発見されています。
ここ、 鹿島海軍航空隊跡でも自動車庫の前にある築山の下に地下室が隠されている事が分かっています。
また、同様の地下室が、湖畔に近くにもう一つ存在していた事は、資料より推測されます。
又、敷地内の地下には複数のレンガ造りの地下空間が現存しています。
本庁舎屋上からの景色も雄大でかつての敷地を一望出来ますが、残念ながら落下の危険があり、一般公開を行っておりません。
上空からの景観は、モニターによる映像展示でお楽しみ下さい。
ごあいさつ
この度は、多くの皆様のご理解とご協力を賜り、本企画展を無事開催する運びとなりました。
心より厚く御礼申し上げます。
本企画展で展示しております主な写真は、 元美浦村役場職員の岡田氏が約30年前に撮影された貴重な記録をお借りしたものです。
当時の姿を鮮明に伝えるこれらの写真を、今回の展示の中心としてご紹介できることを大変嬉しく思います。
岡田氏をはじめ、 資料提供にご尽力いただいた皆様へ ここに深く感謝の意を表します。
展示内容は、 鹿島海軍航空隊としての歴史を歩んだ時代から、戦後の病院としての役割を終えた直後の様子まで、 施設の変遷をたどるものとなっております。
それぞれの時代を映し出す写真からは、当時の空気感や人々の営みを感じ取っていただけるのではないかと思います。
現在の姿とは異なる、かつての風景や建物の表情を通して、 時代の流れや地域の歩みをあらためて見つめ直す機会となれば幸いです。
今と昔を見比べながら、 当時の情景に思いを馳せていただけましたら、これに勝る喜びはございません。
本日はご来場いただき、誠にありがとうございました。
どうぞごゆっくりご観覧ください。
鹿島海軍航空隊跡 学芸員 阿部直希
東西に 17.2m、 南北に48.0mの規模の鉄骨トタン張りの平屋構造の建築物。 鹿島海軍航空隊時代には2棟並んでいたが 1960年(昭和35年) に取り壊されました。
現在はもう1棟の車庫があった場所には砂利が敷かれ駐車場として使われています。
現存している自動車車庫は霞ヶ浦分院時代には倉庫として使用されていました。
車庫内部の南側には半地下室が設けられており、北側には車両の整備用と思われるピット跡が残されています。




鹿島海軍航空隊時代は飛行学生用の宿舎として使用されていました。
東京医科歯科大学予科時代には教員と予科生徒用の宿舎として、 その後、 霞ヶ浦分院時代は病棟として活用されていました。
1998年(平成10年) 2月に老巧化を理由に取り壊されたため、建物の基礎跡のみ現存しています。


茨城県美浦村にあった旧鹿島海軍航空隊の学生舎は、海軍時代に予備学生・予備生徒の宿舎、東京医科歯科大学予科時代に教員と予科生徒用宿舎、その後は同大学の分院(病院)として活用され、1998年(平成10年)2月に老朽化を理由に取り壊されました。

士官浴場
現状の基礎の形状、建物があった当時の航空写真による建物の位置関係と規模から、基礎の南側部分が失われているものと思われる。
文書や写真を確認すると、鹿島海軍航空隊時代と東京医科歯科大学予科時代には理髪所と浴場を兼ねて使われていたと思われます。





汽缶場跡(ボイラー室)
鉄骨トタン張りの建築物で屋根は煙抜きのために越屋根となっていますが、 現在は越屋根部分の窓は塞がれています。
建物の北側には高さ32.0mの煙突が立っており園内で異彩を放っており、 本庁舎同様に鹿島空のシンボルとなっています。
煙突の北側にはコンクリートの土台がありボイラー用の給水タンクと思われます。
内部にはランカシャー式ボイラー2台が残っているが、元々は4台が運用されていました。 ボイラー棟 (汽缶場)で作られた熱は敷地内の各施設に送られ、 お風呂や冬場には暖房として使われていた。
鹿島海軍航空隊のランカシャー式ボイラーは安藤鉄工所の製造で、 炉筒の扉に『東京 安藤鉄工所月島』の文字が見えます。
霞ヶ浦分院時代に2台のランカシャー式ボイラーが撤去され、縦型ボイラーが設置されました。
鉄骨と木造とトタン張りの建築物で、 鹿島海軍航空隊時代は電気を敷地内の各施設に送っていました。
現存する建物の中でも劣化がひどく進んでおり、 トタンは多くを失い鉄骨の大部分が晒されています。
そのため、日光が建物内にも当たり草木が繁茂していますが、 このような状態が「退廃的で映える」 と園内で人気の撮影スポットになっています。
霞ヶ浦分院時代は変電室として使用され、 建物奥の変圧施設とされる場所には、現在も高圧受電盤が残っています。
建物の西側には貯水槽があり発電機類の冷却用のものだと思われます。
また南側には配電盤が設置されていた配電所が残っています。
自力発電所
鉄骨と木造とトタン張りの建築物で、 鹿島海軍航空隊時代は電気を敷地内の各施設に送っていました。
現存する建物の中でも劣化がひどく進んでおり、 トタンは多くを失い鉄骨の大部分が晒されています。そのため、日光が建物内にも当たり草木が繁茂していますが、 このような状態が 「退廃的で映える」 と園内で人気の撮影ス
ポットになっています。
霞ヶ浦分院時代は変電室として使用され、建物奥の変圧施設とされる場所には、現在も高圧受電盤が残っています。
建物の西側には貯水槽があり発電機類の冷却用のものだと思われます。また南側には配電盤が設置されていた配電所が残っています。





この辺りは、映画のロケをよく使われそうですね。

撮影支援作品紹介
鹿島海軍航空隊跡では、多数の映像作品が撮影されています。
【映像研には手を出すな! / 映画・ドラマ】 【スパイの妻 / 映画 】
【ラーゲリより愛を込めて / 映画】 【仮面ライダーBLACK SUN/ドラマ】 は作品中の多くのシーンで鹿島海軍航空隊跡が使用され大規模なセットも組まれました。
監督、俳優陣、スタッフ、地元の皆様の支援のもと撮影された素敵なシーンの数々を展示紹介しています。
撮影禁止なので写真は撮れませんでしたが、沢山の映像がここで撮られていました。


4 汽缶場跡(ボイラー室)
汽缶場跡(ボイラー室)と煙突
当時の汽缶場 (ボイラー室) 内には、ランカシャーボイラーが4台とボイラーに給水するためのポンプ、ボイラー熱で沸かした湯を暖房に使うための排水ポンプ(疎水ポンプ)がありました。
汽缶場北側には、 根元部分で直径約2.3m、高さ約32.0mの煙突があります。
※ランカシャーボイラーとは、 水缶内に炉筒 (円筒形の燃焼室)を設けたものを炉筒ボイラーと言い、 炉筒の中で燃焼させることにより、水を温め温水、あるいは蒸気を供給するものです。 炉筒が二つあるものを『ランカシャーボイラー』と呼ばれています。









5 自力発電所跡



6 地上演習場跡

7 赤い消火栓
8 士官宿舎跡





9 池と折れた電柱
⑧池と折れた電柱
当時は、ヒョウタンの形をした池でした。
池底はコンクリートで仕上げられていますが、現状では水はなくコンクリートが割れ草が生い茂っています。
池の北側には水を引き込むためと思われるパイプが突き出ています。
山の前には、外灯用に立てられたと思われる装飾の入った電柱が二つに折れた状態で残されています。

10 築山・鹿島神社跡


⑦ 築山・鹿島神社跡
本庁舎裏にある築山には、隊内神社「鹿島神社」(各隊の基地名を入れた神社)が祀られていました。
当時は石段もあったと思われ、社(やしろ)や鳥居(とりい)は無くなっていますが、「鹿島神社」にあった桜のマークの入った手水舎は、村内近く八井田の大宮神社に移設されています。
また、石碑は阿見町君島にある鹿島神社の鳥居脇に移設されています。

暗くなって帰途につきました。














