東京市街鉄道株式会社深川発電所は、東京市街鉄道が自社の路面電車(のちの都電)運行に必要な電力を供給するため、明治時代(1903年/明治36年頃)に東京府深川区(現在の東京都江東区古石場2丁目付近)に開設した火力発電所です。
明治30年代、市街電車事業の急速な発展に伴い建設されました。燃料となる石炭運搬に便宜を図るため、運河に面した深川の地に設置されました。
1906(明治39)年の電車3社合併により「東京鉄道株式会社」へ引き継がれ、さらに1911(明治44)年の東京市による電車事業買収(東京市電気局の発足)に伴い、市営の発電施設となりました。
品川・渋谷の各発電所とともに東京市電の初期動力を支えましたが、その後の水力発電の普及や大規模送電網の発達、市街地化に伴う環境変化などにより、昭和初期までにその役目を終えました。

現在は古石場文化センターが建っています。
「古石場(ふるいしば)」という地名は、江戸時代に江戸城の築城や修復に使われた石材の加工・保管場所(石置き場)があったことに由来しています。
現在、古石場文化センターが建つこの地には、かつて東京都交通局の前身の一つである東京市街鉄道株式会社の火力発電所がありました。
正式名称を東京市街鉄道株式会社深川発電所といい、 同社の電気軌道用発電所として明治37年(1904)9月1日に運転を開始しました。
発電所の建物は、2棟のボイラー室と1棟の機械室、2本の煙突で構成され、 ボイラー室と機械室は、 屋根の骨組みに鋼鉄を用いた煉瓦造りで、合計の建築面積が約3,243mでした。
ボイラーの排煙に使われた2本の煙突は、 芝浦製作所 (現、 株式会社東芝) 製で、煉瓦を裏張りした鋼鉄造りで高さが約50mありました。
2本の煙突がそびえ立つ光景は、明治42年(1909) 発行の 「新撰東京名所図会』 第六十三編の挿図 「深川古石場町潮除堤の眺望」にも描かれています。
この発電所は、ボイラーで水を沸かした水蒸気でタービンを回転させて発電する方法(蒸気タービン) を日本で初めて採用した発電所でした。
この方法は初期の火力発電で用いられた、 水蒸気でピストンを動かして発電させる方法(蒸気ピストン)に比べ効率よく発電することができ、現在の火力発電でも用いられている方法です。
使用されたのはゼネラル・エレクトリック社製のカーチス式縦軸蒸気タービン発電機で、運転当初は出力500kWのものが2台でしたが、明治38年(1905) から翌年にかけて出力 1,500kWの5台を増設し、 500kWの2台は撤去されました。
深川発電所は、鉄道会社の合併・買収により所属を明治39年(1906)9月には東京鉄道株式会社、 同44年(1911)8月には東京市電気局と変えながら稼働し続けました。
大正元年(1912)9月には、 明治天皇の大喪の礼の際に電気局が設置した献灯へ電力を供給しています。
しかしながら、国内で水力発電が普及してより効率的な発電ができるようになると、自家発電を止めて外部から電力供給を受けることになり、 大正2年(1913) に閉鎖されました。
その後、深川発電所で使用されていた発電機は、日本セメント株式会社の熊本八代第一工場にボイラー付きで15万円 (当時)にて買収されました。
令和7年2月 江東区地域振興部

路面電車はこのような外形をしていました。(新宿区歴史博物館)

