駿府城は徳川家康が晩年を過ごした城として有名です。
しかしながら、明治以降埋められ、現在は遺構の調査が進められています。
今回は、駿府城巽櫓資料館の展示物の写真を元に、駿府城の歴史を辿ってみたいと思います。
秀吉時代
その後、秀吉に関東移封を命ぜられると、城は秀吉家臣の中村一氏が主となります。
慶長期駿河城
慶長13年(1608) 天下普請によって本丸御殿・天守等完成します。
寛永9年(1632) 城主の徳川忠長が蟄居先の高崎城で自刃すると、以降は幕府直轄として城代が置かれます。
寛永の火災
寛永12年(1635)には火災により天守を失いましたが、以降再建されることはありませんでした。
安政地震
宝永地震から約150年後の、安政元年(1854)の安政地震では建物の殆どが倒壊し、三の丸石垣の6~7割が崩壊してしまいます。
明治維新後
明治維新後は徳川家が再び城主となります。
駿府城関連については下記でレポートしています。