史跡 美術館/博物館

瑞浪市化石博物館

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瑞浪市化石博物館は、1971年から1973年の中央自動車道建設工事に伴って発掘された化石が展示され、化石から分かるこの地域の古代の地理変遷が説明されています。

岐阜の山奥が昔は海だったなんて信じられませんが、エベレストの山頂だって昔は海で、貝の化石が発見されていることを考えれば、全く不思議ではありません。

 

1        エントランス

まずは、この階段を登ります。

 

2        化石博物館について

瑞浪市化石博物館について

瑞浪市とその周辺に分布する瑞浪層群は明治時代から学術研究の対象とされ、地質学や古生物学の発展に貢献してきました。

また、1971年から1973年の中央自動車道建設工事に伴って調査団が組織され、多くの化石標本が得られました。

これらを一同に展示し、 教育・学術・文化の向上に寄与するために、 瑞浪市化石博物館が設立されました。

開館にあたっては、 糸魚川淳二博士 (名古屋大学名誉教授)をはじめとする多くの古生物学者から指導を得ました。

 

展示室について

展示室では、 約2000万年前から約1500万年前に堆積した瑞浪層群から産出した哺乳類、魚類、貝類、 植物等の化石を中心に展示し、瑞浪市とその周辺の地史を紹介しています。

 

展示室の全景です。

3        デスモスチルス

デスモスチルスは化石博物館のメイン展示です。

この地方が、一時的に寒くなったときに北からやって来た生物です。

脚のように見える骨格はヒレであったとのことで、海辺に生息したセイウチのような動物であったとのことです。

デスモスチルス (*束柱類(そく ちゅうるい)の一種)

デスモスチルスは、 ギリシャ語で 「束ねた柱」 を意味し、 のりまきを束ねたような歯を持つ絶滅した哺乳類です。

1898(明治31)年に、瑞浪市明世町山野内で世界初の頭骨が見つかりました。

日本各地の他、主に北アメリカなどの北太平洋沿岸に分布する約1800~1400万年前の地層から見つかっています。

この時代の北太平洋を代表する哺乳類といえるでしょう。

右にある骨格は、隣の土岐市泉町から1950(昭和25)年に発見されたパレオパラドキシアです。

デスモスチルスと同じ*東柱類の一種ですが、頭部や歯の形などが大きく異なります。

* 束柱類: デスモスチルスやパレオパラドキシアが属していた仲間で、約2800万年前にその祖先が出現しました。 系統的には、長鼻類 (ゾウ) や海牛類(ジュゴン・マナティー)に近い仲間とされています。

 

 

4        地層

下記の地質年代表では瑞浪地層群は新第三期(約2000万年前から約1500万年前)に分類されています。

一番下に新第三期の拡大図があります。

瑞浪層群の化石

---中央自動車道建設工事に伴う調査と発掘---

1971年から1973年までの間、瑞浪市で中央自動車道の建設工事が行われました。

明世町一帯には瑞浪層群明世層が分布しており、多くの化石が含まれていたため、調査団が組まれました。

工事の合間をぬって地層の調査や化石の採集が行われた結果、多くの貴重な発見がありました。

この博物館に展示されているクジラ類を初めとする化石の多くは、その時の調査によって採集されたものです。

 

5        クジラ

クジラ類の発見と研究

瑞浪市とその周辺の地層からは、たくさんのクジラ・イルカの化石が見つかっています。

中央自動車道建設工事においては、 約20頭分もの化石が採集されました。

中には、生きていた当時のように背骨が並んだ状態で発見された化石もありました。

見つかった化石の中には、ミノイルカやイサナセタスのようにその後の研究によって新種の基準となるタイプ標本に指定された貴重な化石もあります。

右上の写真:クジラの発掘(1972年2月)

左下の写真:背骨が並んだ状態で発掘されたクジラ類の化石

ハクジラ類

--イルカやマッコウクジラの仲間--

瑞浪層群からは、いろいろな種類のハクジラ類の化石が見つかっていますが、中でもミノイルカの化石が多く見つかっており、下顎や歯、肋骨などが発見されています。

他に、現在のイルカの祖先にあたるケントリオドンの仲間と考えられる化石や原始的なマッコウクジラの仲間の化石をはじめ、現在ではガンジス川などに1属だけが生息するカワイルカの仲間の化石も見つかっています。

6        古地図

古地図を見ると、陸地の変遷が分かります。

現在の陸の形とは全く異なりますが、長い年月で大きく形状が変化することが分かります。

地球規模で考えると、土地っていうものが如何に不安定なものか物語ります。

東濃地方の古地理図

下の図は、約2000万年前~約1500万年前の、瑞浪・可児・岩村の3つの盆地の様子を描いた古地理図です。

この地域は、陸や海の様子から3つの時代に区分され、下の図のように湖の時代 (Ia・Ib) ⇒湖から海への時代 (Ⅱ) ⇒浅い海から深い海への時代 (ⅢI) へと移り変わっていったと考えられています。

海の深さの変化

下の図は、主に貝化石群集から、海の深さの変化を調べたものです。

図のように湖(I)、湖→海(Ⅱ)、浅い海→深い海(Ⅲ)という変化があったことや、後の時代ほど海が深くなったことがわかります。

この変化は、 瑞浪のみではなく、愛知県や三重県など東海地方に分布する地層でも認められます。

3つの湖

前期中新世の頃 (約2000万年前~約1800万年前)、東濃地方には可児・瑞浪・岩村地区に、北西から南東へ3つの湖が並んでいました。

当時は、火山活動があったため涼しい気候であったと考えられています。

湖には、タニシやドブガイが棲み、周りの陸地にはゾウをはじめとする哺乳類が生息していました。 また、 これらの湖底に植物が堆積したことにより、 亜炭ができました。

月吉の入江

前期中新世の終わり頃(約1800万年前~約1700万年前)には、東濃地方にまで海が広がってきました。

海岸線は、 瑞浪市の月吉周辺にあったと考えられています。

この付近にはビカリアの生息するような入江があり、 暖流が流れ込む温暖な気候でした。 周りの丘には、クスノキやフウなどが森林をつくっていました。

デスモスチルスのいた海 (DESMOSTYLUS)

前期中新世の終わりから中期中新世の初め (約1700万年前~約1600万年前)にかけて、東濃地方には浅い海が広がっていました。

 

デスモスチルスの絵は、四足歩行していたように描かれていますが、実際は左下のようにヒレであったことが後で分かりました。

デスモスチルスは、浅瀬を泳ぎ、貝などの無脊椎動物を食べていたと考えられています。

沖合いにはクジラやイルカが泳ぎ、サメがそれを襲うこともあったでしょう。

このコーナーにある油絵は、 1974年に描かれたものです。

当時、デスモスチルスは陸上を歩いていたと考えられていましたが、最近では左の復元画のように一日のほとんどを水中で暮らす海生の哺乳類だったと考えられるようになりました。

広がった海

前期中新世の終わり頃 (約1800万年前~約1700万年前) から数百万年続いた東濃地方の海は、中期中新世の初め頃(約1500万年前)に最も深くなり、範囲も広がります。 深さは約200メートル以上になり、プランクトン性の動物やアツリアなどの殻が運ばれてきました。その後、海は浅くなり始め、ついには陸化し、 湖と海の時代は終わりを告げることになります。

 

7        コハクと昆虫化石

映画「ジュラシックパーク」では、コハクに閉じ込められた「恐竜の血を吸った蚊」から採取した恐竜のDNAを使って、恐竜を復活させていましたが、ここでもコハクに閉じ込められた古代の昆虫を観察することができます。

コハクと昆虫化石

コハクは、マツの仲間の針葉樹に含まれる樹脂が地層中に取り込まれて化石になったものです。

1973年、 中央自動車道工事に伴って、 瑞浪市釜戸町の地層から、昆虫が入ったコハクが産出しました。

日本でこれほど多くの、 昆虫入りコハクが見つかったのは瑞浪が初めてです。

昆虫の他に、水を含んだ気泡や色々な植物なども入っています。

これまで、 釜戸町から採集されたコハクの時代については様々な見解がありましたが、 最近ではコハクが産出した地層から花粉化石が見つかり、研究の結果、 中新世の中頃(約1600万年前)に形成されたものと考えられています。

 

8        パレオパラドキシア

地元の人が見つけた、恐竜の化石の発見顛末と、分析結果がレプリカと共に展示されています。

こんな恐竜の骨が近所から見つかったらびっくりですよね。

パレオパラドキシア発掘記

第2022年6月5日午前9時ごろ、 化石博物館に釜戸町の渡邉敏博さんから 「化石らしきものが川の岸に出ている」という連絡がありました。

報告を受け、 学芸員が半信半疑で現地に向かって、 化石を見た第一声が 「ええええっ!?」でした。

より詳しい経緯は、向かって左のパネルをご覧ください。 *発見者は有我高司さん、 安江明高さん、渡過敏博さんです。

渡邉さんが博物館に連絡をされました。

同日午後、ハンマーやタガネを用意して発掘することを計画しましたが、 背骨がつながっており、簡単に掘り出せる状況ではないことが明らかになりました。

そこで、 後日発掘を行うために、 土嚢袋を積んで化石を保護することにしました。

情報を聞いた新聞記者も取材に駆けつけ、 一時あたりは騒然とした状況になりました。

 

6月10日 緊急発掘

貴重な化石を迅速に保護し、 また調査研究を行うために、 発見からわずか5日後の6月10日に緊急発掘を行いました。

発掘作業には専門家である国立科学博物館の甲能直樹博士も駆けつけ、骨を観察した結果、絶滅した海生ほ乳類 「パレオパラドキシア」 の仲間であることが判明しました。

そして、重さ1.5トンの岩塊ごと化石を掘り上げることに成功しました。

撮影 画像提供: 水野利之氏

 

化石にはサメの歯が90本以上見つかっています。

生きているうちなのか、死んでからなのかサメに食べられたようです。

 

9        化石の地下壕  中新世瑞浪層群明世累層 戸狩層

 

暑い夏にはひんやりとした地下壕が博物館に近接してあります。

 

この地下壕は、第二次世界大戦末期(1944年~1945年)に。航空機製造の疎開工場を建設するために掘られたものの一部です。

地下壕の建設に携わったのは、強制連行された朝鮮人と中国人で、重労働と栄養失調などによる死傷者も多数でました

地下壕の天井の壁面にはNipponomarcia(ニッポノマルシア), Dosinia (カガミガイ),

Meretrix(ハマグリ)など多くの貝化石が露出しています。

この地層は、およそ1700万年前に、10mより浅い砂底の海に堆積したものです。

中国からは330人が動員され39人が亡くなったとのことです。

http://tononews.com/blog-entry-7665.html

 

現在では化石の観察できる場所になっていますが、この洞ができた背景も考え、亡くなった方のご冥福も祈りながら入洞しましょう。

 

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