すみだ北斎美術館は、生涯のほとんどを墨田区で過ごした世界的浮世絵師・葛飾北斎の功績を称え、2016年に開館した美術館です。
北斎や門人の名品に加え、彼と地域との関わりを常設・企画展示で多角的に紹介しています。
両国の駅から歩いて向かいます。
建物は、プリツカー賞受賞の建築家・妹島和世氏が設計を手がけました。
淡い鏡面のアルミパネルで覆われた前衛的な外観は、周囲の下町風景を穏やかに映し出し、地域に溶け込むアート作品として国内外から高い評価を得ています。




新日本フィルハーモニーの音楽監督・佐渡裕さんが、お出迎えです。
『北斎を学ぶ部屋』のご案内
すみだ北斎美術館は浮世絵の錦絵 肉筆画などを専門に展示する美術館です。
錦絵は江戸時代に作られた多色摺木版画で、光や熱、水に弱く、変色しやすい顔料を用いて作られています。
約250年前に作られたオリジナルの錦絵を、 現在も色鮮やかな状態で鑑賞できるのは、この間、 劣化しないよう保存管理し、 伝えてきた人々のおかげです。
当館でもオリジナル作品の劣化を極力抑えるため、 展示は1年のうち、1ヶ月以内になるように管理しています。
このため、オリジナル作品は限定的な日数でしか鑑賞することができません。
そこで、北斎の代表作品をいつでも見たいという多くの方々の期待に応えるため、 実物大高精細レプリカやタッチパネルモニターを用いて、北斎の生涯を代表的な作品とともに紹介し、人物像を知っていただくため、 『北斎を学ぶ部屋』を設けました。
『北斎を学ぶ部屋』 をぐるりと一周歩くことで、絵を描くことに情熱を傾けた北斎の生涯を辿り、 世界的に有名な浮世絵師、葛飾北斎を深く理解していただくことができます。
当館の作品保護方針をご理解いただき、 『北斎を学ぶ部屋』 をお楽しみいただければ幸いです。
葛飾北斎 (1760~1849) は、 現在の墨田区に生まれました。
およそ90年の生涯のうち、90回以上も引越しをしたといわれますが、そのほとんどを 「すみだ」 で過ごしながら、多くの名作を残しました。
作品の中には、両国橋や三囲神社、 牛嶋神社など、 当時のすみだの景色を描いたものがみられます。
またすみだに住んでいた多くの文化人とも交流があり、 その関係の中から生まれた作品も残されています。
須佐之男命厄神退治之図(すさのおのみことやくじんたいじのず)
推定復元図 | インクジェットプリント・金箔金泥・一部手着色
関東大震災 (大正12年・1923) で焼失した板絵額の推定復元図です。
弘化2年(1845)、 北斎が86歳の時に描き、牛嶋神社(墨田区向島一丁目)に奉納されて、社殿に掲げられていました。
サイズは縦4尺2寸、横9尺2寸(約126×276cm)で、北斎晩年の最大級の作品です。
描かれているのは、須佐之男命が厄神を退治し、今後病や凶事を起こさないように、証文を取っている場面です。
明治43年(1910) 刊の 『国華』に掲載されていたモノクロ写真をもとに、 最新の技術を用いて制作当時の色彩と状態を推定復元しました。

スミソニアン国立アジア美術館
1923年にアメリカのワシントンD.C. に設立された美術館で、スミソニアン博物館群の一つです。
実業家チャールズ・ラング・フリーア(1854-1919) が収集した美術品をはじめ、隣接するアーサー・M・サックラー・ギャラリーも合わせて、 日本美術の収蔵品数は約1万2,700点に及び、中でも北斎の肉筆画は世界屈指のコレクションを誇ります。
フリーアの遺言により所蔵品はすべて門外不出とされ、 その方針は現在も守られています。
十二ヶ月花鳥図 (高精細複製画)
文政年間(1818-30) ~ 天保 (1830-44) 初期頃
無款
紙本着色六曲一双 第一・第六扇 146.4×51.8cm、 第二-五扇146.4×56.5cm
原画 スミソニアン国立アジア美術館蔵
六曲一双のこの大作には、右から順に1月から12月までの各月に対応する花鳥図が描かれています。
各図に描かれているのは、竹と樹上の鶴 (1月)、桜と鮎 (2月)、菜の花の種と狐、 蝙蝠 (3月)、 燕子花と杜鵑(かきつばたとほととぎす) (4月)、 水藻と亀 (5月)、 蓮と白鷺(6月)、 葛(かずら)と鶏 (7月)、 枇杷と雀(8月)、菊とガチョウ(9月)、 楓と雉子 (10月)、 枯れた後かりの薊(あざみ)か野芥子(のげし)と思われる植物と雁(11月)、雪椿と子犬(12月) です。 この作品には落款がないことから作者について議論もありましたが、 精緻な描写や動物たちの姿から現在では北斎の作品と考えられています。

館内は撮影禁止の為ここまでです。


野見宿禰神社
美術館のすぐ近くにあります。相撲の神様だそうです。
野見宿禰神社
かつてこの東側に相撲の高砂部屋がありました。
明治十八年(一八八五)に親方の高砂浦五郎が、津軽家上屋敷の跡地であったこの地に、相撲の神様として知られる野見宿禰を祀ったのが、この神社の始まりです。
石垣の石柱には、力士や相撲関係者の名前が刻まれており、本場所前には必ず、相撲協会の神事が行われます。
境内には、昭和二十七年(一九五二)に相撲協会によって建てられた歴代横綱石碑があり、その一基には、初代の明石志賀之助から四十六代朝潮太郎までの名前が、もう一基には四十七代柏戸剛以降の名前が刻まれています。

さて当日はここから浅草まで歩いて向かいました。
すこし離れていますが良い散歩コースです。









