津賀城跡(つがじょうあと)は、茨城県鹿嶋市の北浦を望む台地に位置する中世の城郭遺構です。
鎌倉時代中期から戦国時代末期にかけて、この地を領した津賀氏の居城であったと伝えられています。
津賀城跡
鹿嶋市大字津賀一四二五ー一他
平成五年一月二十六日指定
津賀城は、鎌倉時代中期から戦国時代末期頃の城郭で津賀氏の居城である。
城跡は、長い年月の経過でかなりの部分が消滅しているが、主郭である西側台地の平坦部と、その周囲の土塁や空堀等がよく残っている。
津賀氏については、系図等は不明であるが、『津賀津「福寺過去帳』に「大安全切居士 永禄十一年(一五六八)戊辰三月二十日、津賀大膳」とあり、津賀大膳という名が記されているのが見える。
また、『鹿島治乱記』においても、大永年間(一五二一~一五二八) に津賀大膳、天正年間(一五七三~一五九一)に津賀大炊介の名が登場し、大永四年(一五二四)に津賀大膳が高天原で鹿島城の宿老松本備前守 尚勝と戦い、これを破ったと記されている。
平成二十九年三月 鹿嶋市教育委員会

この丘の上が城跡です。

最初はコンクリートの階段があります。


目の前にあるのが土塁と思われます。

ここは本丸跡だと思われます。

本丸跡からは霞ケ浦と北浦大橋が眺められます。

見晴らし台もありますが、木々が鬱蒼として前は開けていませんでした。

分かりにくいですが、ここも土塁と思われる場所です。


公園の中には広いグランドもありました。
戦国時代に群雄割拠した戦国大名の城の一つと考えられ、江戸時代に向かって大名が収斂してゆく中で打ち捨てられ、城跡の丘だけが残ったものだと思われます。
