ビートたけしのゆかりの演芸場「浅草フランス座」 (浅草で寄席を見るならまずはここ!)と思い行ってきました。
目次
【浅草 東洋館とは】
時代の流れとともに形を変えてきた浅草フランス座。歴史は昭和26年から始まります。
当初はストリップの劇場でも有名で、その合間にコントやコメディ演劇をやっており、渥美清、由利徹、東八郎など数々の有名人が誕生しています。
この軽演劇が評判になり東洋劇場がOPEN。同じビルの下の階を東洋劇場、4・5階がフランス座となります。後にここのエレベーターボーイとして雇われたのがビートたけしです。
その後 フランス座に代わり浅草演芸ホールになり、幾度か閉館を繰り返しながら 今の浅草東洋館となったのが2000年の元旦です。
その後は落語を中心とした浅草演芸ホール、いろもの演芸を中心とした東洋館が公演を行っています。
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- 「フランス座」
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- 「浅草キッド」
・初めて見るスタイルの演目がいっぱい(いろもの演芸)
館内はあの朝ドラ「おちょやん」のように升席になっていたり、提灯がぶら下がっていたり、花道があるのかと思っていたけど・・・小さな映画館のよう。
お客さんは3~4割程度。でも 漫談の中で「東洋館はコロナ前と同じ、お客さんの入りはソーシャルディスタンスですから」と言っていたので いつもこれくらいのゆったり感のようです。
みんな おべんとうやおやつを持参して 開演を待っています。
その日の演者の顔触れは、はっきり言って一人も知らない。でも 結論から言って 面白かった!!
最初の演目は落語だったものの、その後は漫談や物まねなどの定番のほか、アコーディオンでオペラを歌ったり、現役のチンドン屋さんがチンドン太鼓を鳴らして盛り上げる。
面白かったのが、元自衛官が退官してから 自衛隊のラッパを用いて行うラッパ漫談は、(ほ~っ)と感心させられた。
次々と見たことがない芸風の演目に 圧倒されてワクワク・にこにこ楽しく見ることができました。
・おまけ
・浅草はほかにも 演芸場がたくさんあります。・木馬亭は浪曲の寄席 ・木馬館は大衆演劇 まだまだ浅草は見どころ満載です。
・帰路につきながら 浅草寺の裏手 新奥山を散策。
【江戸きっての庶民娯楽の地 奥山】
江戸時代 浅草寺本堂 北西一帯は「奥山」と呼ばれました。参拝者が休憩する水茶屋が並び、人の往来に合わせて、芝居や軽業、猿芝居、奇術など大衆芸能が盛んな娯楽の地となりました。
明治になって 浅草の盛り場が浅草六区に移った後 現在の本堂西側の一角に「新奥山」が整備され、様々な碑や象が建てられた。
「映画弁士塚」・・・映画渡来に合わせ活躍した弁士たちの名が連ねてあります。
「曾我廼家五九郎の顕彰碑」・・・明治・大正・昭和初期に浅草で活躍した「喜劇王」舞台だけでなく映画でも活躍した。この碑は五九郎が主演した人気映画「ノンキナトウサン(通称ノントウ)」のトウサンの絵。
演芸を見て、浅草寺でお参りして、仲見世を見ながら帰路につく。ぶらぶら浅草散歩 満足な1日でした。