博覧強記

牛乳から製造した醍醐の味を想像する

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牛より乳を出し、乳より酪を出し、酪より生蘇を出し、生蘇より熟蘇を出し、熟蘇より醍醐を出す。醍醐は最上なり。

 

1. 醍醐とは

仏教の大乗経典『大般涅槃経』の中に
「牛より乳を出し、乳より酪(らく)を出し、酪より生酥(せいそ)を出し、生酥より熟酥(じゅくそ)を出し、熟酥より醍醐を出す、」とあります。
酪はヨーグルト、生蘇は生クリーム、熟蘇はバターで醍醐は、というと諸説入り乱れて実態はわかってないとのことです。
しかし、製法の順番で熟蘇(バター)からできるのですから、チーズのようなものなのかと思っていたら、広辞苑が言うには「黄金色をしたオイル様のものともいう。」とのことです。ほな、チーズと違うがな、ってわけで、バターを作るときにできるバターミルクに行き着きました。
バターミルクについての大辞林の解説は「バターなどを作るために脂肪分を取り去ったあとの液体。乾燥して粉末ミルクとし、製パン、製菓材料、動物のえさなどに用いる。」と、どう考えても食指が動かなそうな飲み物です。「動物のえさ」ですよ、これが最上級の乳製品なのでしょぅか。ほな、ちがうがな~です。

えらい人たちが、いろいろ文献をあたっても、明確な答えが無いわけですから、素人の浅知恵で答えが出るわけがないのですが、想像するのは楽しいものです。

2. 言葉として残った醍醐

醍醐そのものは、実体の分からない超おいしい液体ということは分かりましたが、私たちが日常で使うことばに、「醍醐味」ということばがあります。
食に関することだけではなく”ラグビーの醍醐味”、”カナダツアーの醍醐味”など最上の食べ物転じて「物事の1番の魅力」を示すことばとして使われています。まさか仏教の経典に語源があるとは夢にも思わないでしょうね。

3. 後醍醐天皇

3.1 後醍醐天皇、醍醐天皇

そういえば、御醍醐天皇の醍醐はどこからきたのでしょうか。気になりませんか。Wikipediaで調べてみると
後醍醐は延喜・天暦の治と称され天皇親政の時代とされた醍醐天皇・村上天皇の治世を理想としており、そのため醍醐に後を付けて後醍醐にしたのだとされていた、・・」というのがあります。後醍醐天皇は醍醐天皇にあやかりたくて醍醐の名前を借用したので、これ以上調べても必要な情報が出てきそうにありません、オリジナルの醍醐天皇の名前の由来を探さないといけないですね。そこでまたWikiの出番です。「醍醐寺の近くに御陵があることからその名に因んで「醍醐天皇」と追号。」となっています。

3.2 醍醐寺

そうすると次は、京都市伏見区にある世界遺産、醍醐寺の名前の由来を調査する必要がありそうです。

この醍醐寺 JR東海の 「そうだ、京都行こう 2009年 春編」でも放送されたことのある、桜のきれいなお寺です。

Wikiの登場です。
「空海の孫弟子にあたる理源大師聖宝が准胝観音並びに如意輪観音を笠取山頂上に迎えて開山」その聖宝大師が笠取山(醍醐山)に沸く水をすくい飲み「醍醐味なるかな」と褒めたというのが名前の由来になっているようです。ちなみにその霊泉を「醍醐水」と呼ぶのだそうです。というわけで、後醍醐天皇の醍醐もたどるとやっぱり、乳製品由来の醍醐でした。

4. 製法が失われたのは—勝手な推測--

4.1 もともとそんなにおいしいものではなかった

仏教の経典といっても、元は一人のえらいお坊さんが書いたものですから、味も個人の好みです。経典を描くような人ですから、そのお坊さんの好みを弟子が否定することはできません。という訳で、個人の好みで書かれた「最上級」の乳製品でしたが、周囲が同調しなかったため、いつの間にか、製法が途絶えてしまったのでは?

4.2 作り方が面倒くさく製法を書いた秘伝のレシピが捨てられた

なんせ、複数の工程を経た最後に出来上がるめんどくさい飲み物ですから、頑張って作っても、おいしくなければ、作る意欲も失われるものです。製法は昔のことですから、日常的に作られていた時は、言葉でつながっていたでしょうけれど、経典に書かれているくらいですから、どこかに工程図があったとしても不思議ではありません。しかし、経典とは違い、食べ物の製法です。時が過ぎ、作らなくなってしまった食べ物の製法を残しておく気にならなかった、のではないでしょうか。要するにその製法が断捨離対象になってしまったのです。

5. 人の味覚なんて

人の味覚なんていうものは、個人の食生活によってずいぶん変わるものです。昔、小学生の時にチーズを食べたときには、まずくて食べられたものではありませんでした。
同じ経験をした人たちも随分いるようで、長谷川 義史さんの書いた絵本「はいチーズ」を読むと

ふじいのよっちゃんがいつも食べている憧れの肉屋のチーズ。泣いて母ちゃんに訴えてやっと買ってもらった。夢にまで見た肉屋のチーズは食べてみると腐った石鹸の味がした。母ちゃんに見つからないようにそっとどぶに捨てた。かあちゃんは「あれ! もうたべたん。そんなに美味しかったのなら、また明日も買ってやる。」、僕「 ・・・・・。」

って感じです。もちろん、私は、今はおいしいおいしいと言って食べています。

同じような経験で、大学時代に英語教師のリン先生が名古屋のデパートで買ってきたカビの入ったチーズをおいしいから、と分けてくれたことがありましたが、あたりまえですが、嗅ぐとカビ臭く、吐きそうになりました。とても(人間の食べるものではない)と思っていたところ、同席した、やたらうるさい大学教授と、青年海外協力隊帰りの野獣のような同級生は、「うまい、うまい」と言って本当においしそうに食べていました。(えっ!) と絶句しましたが、そのときほど、味覚の差を感じたことはありませんでした。

さて、昔、醍醐を食べた人たちの食レポを集めてみたいですが、叶いません。
うまいという人の陰に、うまくないと思った人がいたことは想像に難くありません。

6. 現代の醍醐

さて、現代は世界中のおいしい食べ物が、デパートやスーパーに行くといとも簡単に入手できます。飽食の時代にあって、至極の食べ物はあるのでしょうか。

普段は、簡単に手に入らない、ものだからこそ、憧れ、いつかは口にしたいと思う気持ちが醍醐味なる言葉を生んだとしたら、今はもう、そんなものはないのかもしれません。

しかし、コロナで一旦、家に引きこもってしまうと、メディアでいろいろな料理が出てきます。自分の持っている知識が浅薄なものだと気づかされます。
まだまだ、知らない料理は山の様にあります。そのなかから、自分なりの醍醐を探すのも良いのかも知れません。

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