過去の記事では、ガス事業とガス機器の変遷
都市ガス事業の歴史、くらしとガスのかかわり
とレポートしましたが、ここではもっと遡って可燃ガスの発見から明治時代にガス燈として実用化されるまでの歴史について記載します。
1609年、 ベルギーのヘルモント(1579~1644) が、石炭を加熱すると奇妙な「気体」 が出るのを発見し、これを「ワイルド・スピリット」と名付けました。
その後イギリスのムルドック (1754~1839)が、蒸し焼きした石炭から取り出したガスで自宅を照明し、人々をおどろかせました。
またフランスのルボン (1767~1804)は木炭によるガス採取に成功し、このルボンの技術を取り入れたイギリスのウインザ-(1763~1830) らの努力により、1812年、 世界最初のガス会社が設立されました。
わが国のガスの歴史は、 幕末までさかのぼることができます。
当時の蘭学者宇田川榕菴 (1798~1846) は、 すでに 『舎密開宗』の中で、さまざまなガスの採取方法について記述しています。
また、南部藩の医師島立甫 (1807~73)、近代製鉄業の父大島高任 (1826 ~1901)、薩摩藩主島津斉彬 (1809~58) らが、 石炭ガスによる照明を試みています。
維新後の1871年(明治4) には、大阪造幣局の敷地の内外にガス灯がともされました。
島津斉彬のガス燈についての記事はこちら
高島嘉右衛門(たか しまかえもん)(天保3年~大正3年)
1872年(明治5)、 高島嘉右衛門(1832-1914) がフランスの技術者プレグラン(1841~82)の協力によって、横浜にガス灯を設置しました。
暗く不安な日本の夜を強いられていた横浜の外国人たちは街灯照明を求め、 高島はガス事業の免許を手に入れ工事を完成させました。
これが日本のガス事業の始まりです。
2年後の1874年(明治7) には、東京の金杉橋~京橋間に、東京会議所により85基のガス灯がともりました。
この工事を指導したのも高島とプレグランの2人でした。
アンリプレグラン (1841~1882)は、明治初期の横浜、 東京のガス灯設置に功績を残したフランスの技術者です。
彼は来日する前、 上海のガス事業にたずさわっていました。
高島嘉右衛門にやとわれたプレグランは、 彼と協力し、 ガス灯工事の設計から事業計画まで行いました。
彼は単なる技術者でなく、経営の指導にもあたり、 日本のガス事業の育成、発展に大いに貢献しました。
死後、 生まれ故郷のボレーヌには、 彼の業績を記念して名付けられた「プレグラン通り」 が生まれました。
渋沢栄一(1840-1931)
埼玉県生まれの実業家で、 明治・大正期の経済界の指導者。
東京府瓦斯局長を経て、東京瓦斯会社の初代社長に就任。
わが国のガス事業に多大な功績を残す。
第一国立銀行の頭取なども歴任。
大正5年には経済界の地位から去り、余生を東京市養育院などの社会事業に捧げた。
1874年(明治7)に始まったガス灯事業は、東京会議所(江戸時代の江戸町会所の後身。明治10年に解散) の手によるものでしたが、需要者が増えず創業以来厳しい経営状態が続いていました。
1876年 (明治9) 東京府瓦斯局に経営が移管され、その後経営も軌道に乗り始めた1885年 (明治18) 府の払い下げを受け東京瓦斯会社が発足しました。
初代社長(当時の呼称は会長)は渋沢栄一(1840~1931) でした。
発足当初、 需要家の数はわずか343戸でしたが、1910年(明治43) には約12万6,000戸にまで増えました。
電気と違いガスは点灯・消灯を一つ一つ人力でする必要がありました。
当時、その仕事を行っていたのが点消方と呼ばれる人たちでした。
「点消方」はガス灯の点灯、消灯に従事した人です。
ガス灯は、硫黄を火種とした点火棒を街灯の下から差し込んで点灯します。
点消方は、 夜になると約50本のガス灯を1時間ぐらいでつけて回り、 朝が来ると消していきました。
割れたガラスの補修や交換、すすやほこりで汚れたガラスの清掃、マントルの交換も彼らの仕事でした。
風の強い日は火つきが悪く大変でした。
こうして彼らは雨や雪の日も欠かさず、 東京の明かりを支えていました。
旧参謀本部のガス燈です。
旧参謀本部は彦根藩井伊家上屋敷跡で現在の国会前庭にありました。
鹿鳴館のガス燈
1883年 (明治16) 政府の欧化政策をうけ、外国の賓客の接待 宿泊施設として鹿鳴館が華々しく開館し、館内では夜ごと舞踏会や演奏会がくり広げられました。
ここ鹿鳴館で使用さいるガス室内灯は、館の内外には多くのガス灯が設置され
「透き通った家のように輝いていた」と当時の記録に残されています。
庭に残されたガス燈を見ると、明治時代の文明開化の音が聞こえて来そうです。
庭内にあるガス街灯は、いずれも約100年前東京や横浜などで実際に使用されていたものを修理して、 ホヤを復元して明かりが灯るようにしたものです。
明治期のガス灯が長い歳月の風雪に耐え、 今日まで各地の街路で保存されてきたのは、その地に初めて灯った明かりに限りない愛着を持ち、 大切にしてきた心ある方々の賜物です。
お譲り下さった方々に感謝と敬意を表し、 貴重な資料の保存に努めてまいります。
スペイン・マラガ市軒灯(複製)
ケルンのガス灯
横浜のガス灯
ロンドンのガス灯
内藤神社のガス燈
築地赤石町のガス燈
ウェストミンスターのガス燈
浜離宮のガス燈
湯島天神のガス燈
ロンドンのガス燈
足利のガス燈
新宿淀橋のガス燈
火の神様のレリーフでしょうか。