史跡

東京街歩き:深川門仲ご利益コース#1

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深川のお不動さんと富岡八幡宮を巡るコースです。

まずは、お寺や神社に行くまでを纏めてみました。

1       深川東京モダン館

大江戸線門前仲町の6番出口を出て、広い清澄通りを渡るとすぐのところにあります。

もともとは市設のモダンな食堂でしたが、現在は地域の資料館、観光案内所、集会所となっています。

江東区登録有形文化財(建造物)

国登録文化財   門前仲町一一九一五

旧東京市深川食堂

東京市深川食堂は、東京市が社会事業施策として、大正九年(一九二〇)から順次設置した一六カ所の市設食堂のひとつです。延床面積は一〇六坪。

関東大震災の復興事業の一環として、昭和六年(一九三一)に着工、翌七年三月に竣工しました。

市設食堂とは低所得者のために安くて栄養のある食事を提供する施設のことです。

一一年に閉鎖されましたが、一三年に東京市深川栄養食配給所として活動を再開、東京大空襲で被災し したが全焼をまぬがれ、戦後部分修復して、東京都の職業斡旋施設となり、三二年には授産機能、三六年には福祉機能が追加されました。

五四年に江東区へ移管され、「江東区内職補導所」と改称し、教度の名称変更を経て、平成一八年に閉鎖されるまで利用されました。

構造は二階建て鉄筋コンクリート、外壁はモルタル下地吹上仕上げ。大震災の教訓を活かし、当時の最先端技術である鉄筋コンクリートが採用されました。

デザインの特徴は、明るく開放的な吹き抜け空間になっている階段室と、二階南側のスチールサッシュ窓にあります。

震災復興の近代建造物としての稀少性が認められ、平成二〇年に国登録文化財に登録されました。

平成二十一年九月    江東区教育委員会

ここが入口です。

1Fは歴史紹介の場所。

深川仲左衛門(なかもん)が迎えてくれます。

深川仲左衛門(ふかがわ なかざえもん)」は、門前仲町にある「深川仲町通り商店街」の公式マスコットキャラクターです。通称「なかもん」と呼ばれている ゆるキャラです。

お寺にいる「鳩」をモチーフにしたということです。

晴海橋梁

2025年9月19日に、 晴海橋梁が春海橋公園の一部として追加開園されました。

晴海橋梁は 「東京都港湾局専用線」の橋梁として、 1957年 (昭和32年)に完成。 専用線が廃止となる 1989年(平成元年)まで使用されました。

長く当時のまま残されていましたが、耐震工事等が終わり遊歩道として生まれ代わりました。

また、付近には豊洲運河に残る橋脚やレール跡など専用線の痕跡が残っており、当時の様子を実感できるのではないでしょうか。

 

メモ

行き方(門前仲町から)

都営バス門 19 ビックサイト行き

海01 東京テレポート駅前行き

それぞれ豊洲駅下車

有楽町線豊洲駅 IC出口から徒歩10分

旧晴海鉄道橋については以下に記載

東京のウォーターフロントにかつて国鉄があった。旧晴海鉄道橋

国登録有形文化財(建造物) 「旧東京市深川食堂」

深川東京モダン館は、東京市が社会事業として順次建設をすすめていた市設食堂で、震災復興事業の一環として昭和7年(1932)に建築された東京市深川食堂を改修した建物です。

大正12年(1923)に起きた関東大震災は、死者約9万2千人、全壊・焼失約 47万戸という未曾有の大災害をもたらしました。

震災で住む場所を失った人びとに、 安くて栄養のある食事を提供するためには公共の食堂が是非とも必要でした。

そのため東京市 (1944年に東京都となる)では市内の数カ所に食堂を増設しました。

この深川東京モダン館の前身である「深川食堂」は、最後に造られた市設食堂でした。

深川食堂は震災復興が一段落した後も、 社会事業の役割をになう公営食堂などとして運営されていましたが、第二次世界大戦末期の空襲で建物の内部が焼けてしまいました。

戦後は職業安定所や内職補導所、障害者通所授産施設として活用されてきましたが、 平成18年(2006)にその役割を終え、解体を含め建物をどうするのかが問題となりました。

専門家による調査で、この建物は昭和初期の近代建築の姿を今日に伝える貴重な文化遺産であるとの評価を受け、 江東区は保存と活用を決めました。

また平成20年(2008) には、国登録有形文化財(建造物) として認定されました。

昭和の初めに、新鮮な驚きを与えて人々を魅了したモダンスタイルを今日に伝えるこの建物は、 また、 激動の昭和の歴史の生き証人でもあります。

今後は保存され、江東区の観光と文化の拠点 「深川東京モダン館」として装いを新たにし再出発します。

深川東京モダン館は、昭和初期に建築された建物の姿を今日に伝える貴重な文化遺産です。

昭和初期の1930年代には、 建物から装飾を取り去って、できるだけシンプルで単純な形を追求した建築が時代の最先端として登場し世界中に広まりました。

「単純なものは美しい」という言葉に象徴されるこの傾向は、建築だけでなく美術や音楽の世界にも見られ 「モダニズム」とか 「モダンスタイル」と呼ばれました。 モダニズムは近代の合理主義精神が形となったものとされています。

商店街で売っているお土産品があります。

また、各種マップ・パンフレット類もここでいただきました。

 

2階へ行くタイル張りの階段です。

戦前の牛乳瓶

牛乳瓶には、 「快進舎」 という製造元が表記されるとともに 「全乳」「高温滅菌」 「五勺入」 という文字も確認できます。

「全乳」とは、乳牛から搾ったままの牛乳 (脂肪分を抜き取ると「脱脂乳」 となります)、 「高温滅菌」は牛乳の殺菌をめぐる方法を指し、容量を示す5勺は約90ml となります。

牛乳瓶自体も、 焼成温度が低いことから均一の厚さではなく、気泡が点在しています。

この瓶は平成20年度に建物の改修工事を行った際に出土したものです。

おそらく戦前に使用された牛乳瓶であると考えられます。

2階は集会場や会議室となっています。

イベントがないと閑散とした感じです。

 

2       辰巳新道

大通りから少し入ったところにある、 昭和の面影を色濃く残す居酒屋や小料理屋がひしめく路地です。

「辰巳」は東南の方向を表す言葉です。

深川は江戸市街の 「辰巳」 の方角にあたり、 江戸時代には遊興の地として賑わったので、 「恋風も辰巳となればすごくなり」という川柳が詠まれたほどです。

深川の芸者は「辰巳芸者」と呼ばれ、 気風が良いことで評判でした。

辰巳芸者の手古舞姿は、 現在では富岡八幡宮の「深川八幡祭り」や「江東区民まつり中央まつり」で、地元の有志の方々によって演じられています。

3       とんかつ丸七

丼の蓋が閉まらないほど、マンガ本や分厚い辞書のような厚さ(約3cm以上)のカツがドカンと載って登場しますが、肉そのものは柔らかく食べやすいということです。

行列が凄くてとても待ちきれませんでした。

 

4       深川公園

深川公園

明治6年(1873) 東京府に5つの公園が誕生しますが、 その一つが深川公園です。

近代公園の先駆けとして、 公衆トイレやベンチが設置され、現在も人々の集う場所として存在しています。

明治43年(1910) の日露戦争の忠魂碑、昭和6年(1931) の歌仙桜之碑は、いずれも栄一が揮毫し、公園内に建てられています。

過去に進水した高さを表示しています。

実際、昔は直ぐ近くまで海が来ていました。

江東区登録史跡

東京市立深川図書館跡~二番目の東京市立図書館~

富岡一十一四 深川公園

東京市立深川図書館は、明治四二年(一九〇九)に日比谷図書館に次ぐ東京市立の図書館として深川公園内に創立されました。

当時は公園内の西南に位置しており、図書館の東側は梅園に接し、北側には桜が植えられていました。

建物は、東京勧業博覧会の時に瓦斯会社が機械や材料の展示に使用したものを移築しました。

総建坪は約一五〇坪で、洋風多角形および長方形の木造平屋建ての建物を中心とした構造でした。

大正一二年(一九二三)の関東大震災により、深川図書館は建物と図書を焼失しました。

昭和三年(一九二八)、清澄公園内に場所を移し、鉄筋三階建ての図書館として新築されました。

昭和二五年、区に移管されて江東区立深川図書館と改称されました。

現在の深川図書館は、平成五年(一九九三)に改築された三代目の建物です。

これまでの深川図書館をイメージして設計された外観や内装に加え、一部に旧材が使用され、往時をしのばせる姿となっています。

江東区教育委員会

 

5       石造燈明台

江東区指定有形文化財(建造物)

石造燈明台 明治三一年在銘 一基

富岡一一四 深川公園

日清戦争(一八九四~九五)の勝利を記念して、深川不動堂の境内南東地に建てられました。

明治二八年一二月に起工し、三一年七月に竣工しました。

高さ八三九・四C、最大幅三七三・四㎝の大きな燈明台で、内部は煉瓦造り、外壁には安山岩の石板が貼られています。

設計及び監督技師の佐立七次郎(一八五六~一九二二)は、工部大学校造家学科(現東京大学工学部)の第一期生でジョサイア・コンドルに師事した日本近代建築家の一人です。

成田山新勝寺にもほぼ同形状の燈明台(明治二七年竣工)が現存します。

外壁には奉納者・奉納団体が刻まれた石板が三五九点貼られています。

奉納者には「団菊左時代」を築いた九世市川団十郎、五世尾上菊五郎、初世市川左団次をはじめとする歌舞伎役者や常磐津などの芸能界、土木実業組合や東京石工組合、東京株式取引所などの実業界、また魚河岸、船頭、吉原・洲崎の遊廓や割烹料理屋などがみられ、深川不動堂が幅広い人々によって信仰されていたことがうかがえます。

竣工当初は上部に八角の火袋がありましたが関東大震災により倒壊しました。

平成一九年度に区指定有形文化財に指定され、平成二〇年に現在地に移設 れました。

平成二十一年九月

江東区教育委員会

成田山新勝寺にもほぼ同形状の燈明台は以下で確認できます。そっくりです。

成田山新勝寺で初詣②

 

 

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