宮沢賢治は子供の頃「石っ子賢さん」と呼ばれていました。
花巻川口尋常小学校4年時の担任の八木英二先生は、賢治たちに鉱物研究者には宝の山であると教えました。
とにかく、賢治の石への執着は好奇心という生易しいものではなく、病的なものであったとのことです。
目次
1 花巻の地質学的の特異性
何が宝の山かは、先日「ブラタモリ」で説明していました。
以下は番組での説明を参考にして書かせていただきます。
その秘密を探るためにまず、タモリさんと、アシスタントの林田さんは、下の地図で示す北上川と豊沢川合流地点に向かいます。
そこでいろいろな種類の石を拾い集めます。
ここが北上山地と奥州山脈の成り立ちから多様な石が賢治の興味を育んだ土壌でもあると伝えました。
タモリさんとアシスタントの林田さん達の拾った石は以下に分類されます。
同じ場所で、火山性の石と、堆積物が固まった石が混在するのはなぜでしょう。
火山岩 | 堆積岩 |
流紋岩
安山岩 高温石英 ジャスパー(赤い酸化鉄を含んでいる) 玄武岩
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チャート(放散虫の死骸などが堆積したもの)
蛇紋岩 れき岩 蛇紋岩 れき岩 泥岩 砂岩 花崗岩 せん緑岩 |
その秘密は北上川、豊沢川、猿ヶ石川の合流点にある花巻の特殊性にあります。
花巻の東
北上山地は5憶年前は赤道直下にありました。
プレート運動で現在の場所までやって来ました。
従って、こちらの山から流れて来る石は堆積岩です。
花巻の西
奥羽山脈は2500年前の火山活動で隆起した山です。
従って、こちら側は火山岩です。
成り立ちの異なる東西の山の岩石が、川で流され、合流することによって多様な石が花巻の河原で取れるということです。
下は花巻にある「早池峰と賢治の展示室」で撮影した写真です。
さて、賢治が子供の頃遊んだ河原での体験を素にして書いたと思われる童話を以下に示します。
2 風の又三郎
石と言えばこれでしょう。子供達は元気で川で遊んでいます。
又三郎こと、転校生の三郎の父親は“上の野原”でモリブデンという鉱石を採掘するためにやってきました。
当時は軍用ヘルメット(クロムモリブデン鋼)等の素材として需要があったようです。
現在は各種合金鋼の添加元素に利用される事が多いようです。
ただし、日本ではかつて島根県と岐阜県で取れただけで、花巻で取れたという報告は見つかりません。
あくまでも又三郎の不思議さを示す素材として、賢治が自分の知識の中から選んだ鉱物なのでしょう。
3 銀河鉄道の夜
「銀河鉄道の夜」で出て来る石は、金剛石(銀河ステーションがパッと明るくなった様子を金剛石をまき散らした状態と表現しています。 また一面のとうもろこしの木がキラキラしている様子もこの金剛石からの反射光で例えています。)、黒曜石(ジョバンニが銀河ステーションでもらった地図が黒曜石で、できていました。)、水晶と黄玉(白鳥の停車場で降りたジョバンニとカムパネルラが行った近くのプリオシン海岸の礫)です。
また、プリオシン海岸の石の中からは120万年前の牛の先祖のボスの骨とクルミ、貝殻が出てきます。
カムパネルラは川に流されてしまいますが、花巻市内を流れる豊沢川も普段は大した水量は無く浅い川ですが、水源が奥羽山脈の中にあり、距離に対して高低差がありすぎるため、雨が降ると増水と言うより鉄砲水になることがありました。
実際にそれに呑まれて姿を消した人は江戸時代から数えきれないほどであったと言います。
賢治が尋常小学校2年の時、4人の小学生が流され2人が帰らぬ人となっています。
4 気のいい火山弾
ただ、そこに あるだけで、みんなの役に たっていた大きな石のお話です。
賢治は亡くなるまでそのほとんどを、花巻、盛岡で過ごしました。
童話も全てイーハトーブとなずけられた岩手がベースになっています。
花巻に行って、その自然に触れて初めて賢治の童話の心に触れたような気がします。
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