静岡市歴史博物館は2023年1月13日(金)に全面開館したばかりの博物館です。
訪れたのは2023-2-26で、企画展「徳川家康と駿府」の最終日でした。
今は一部しか残ってない駿府城三之丸堀を超え、巽櫓に向かう途中にあります。
1階には戦国時代末期の道と石垣の遺構がそのまま展示されています。
遺構の上に博物館を建てたと言った方が良いでしょうか。
定期的に、説明員のお姉さんが遺構の説明をしてくれていました。
戦国時代末期の道と石垣の遺構
遺構の土はなぜ白い?
博物館で露出展示している道と石垣の遺構には、 表面に白色の物質が出ています。
これは遺構が見つかった際にも発生しました。
その成分を分析したところ、 石膏であることがわかりました。
地中の水分に含まれていた石膏が、地表面に現れたものと考えられます。
現在も白色の物質が出ており、その成分と原因を調査中です。
今のところ遺構の土や石垣に悪い影響はありません。
このほか遺構の保存に役立てるため、地下水位や土の温湿度を測る調査を行っています。
*石膏・・・硫酸カルシウムを主成分とする鉱物(CaSO4)
戦国時代末期の道と石垣 ①
Roadway and stone wall at the end of the Sengoku period
博物館建設前に発見! 静岡市街地のルーツ
これは発掘調査で見つかった、東西に伸びる道とその両脇の石垣です。
家康が駿府城を築き、 まちの姿が変化していた時代の遺構と考えられます。
静岡市の中心市街地のルーツである駿府城下町の初期の姿を物語る貴重なものです。
遺構を保存しながらご覧いただくため、全国的にも事例の少ない博物館内での露出展示を行っています。
道と石垣の遺構
静岡市所蔵
遺構は地面の約1メートル下で見つかりました。 この一帯では古墳時代から現代に至る土層があり、歴史の積み重なりを物語っています。
道の表面
静岡市所藏
道は土と砂利を混ぜて固めてあります。
また北から南に傾いています。 これは道にたまる雨水を排水するためと考えられます。
博物館建設前に発見! 静岡市街地のルーツ
戦国時代末期の道と石垣 ②
Roadway and stone wall at the end of the Sengoku period
道幅は2.7m、長さは33mあり、 当時はもっと長い道だったと考えられます。
石垣は自然の石を使った野面積み(のづらづみ)という積み方で築かれています。
これは駿府城跡で見つかった同じ時期の天守台の石垣と同じ積み方です。 道に出入口がなく33m以上も続いているため、この両側には広い武家屋敷があり、城を守る重臣クラスの家臣が住んでいたと推定されます。
CGによる道の復元
道は駿府城の堀のすぐ近くにあった主要な道につながる脇道と考えられます。
石垣の上には土塀があったと考えられます。
道の両脇の石垣
静岡市所蔵
石垣は高さが30cm前後残っており、 後ろに川原石 (裏込め)を入れています。
これは石垣を固定し、 雨水を排水するためです。
博物館の2階からは、駿府城の巽櫓(たつみやぐら)と富士山がよく見えます。
2階は今川時代の駿府と、家康の街づくり。
家康着初めの鎧 紅糸威腹巻(くれないいとおどしはらまき)の復元したものも展示されていました。
浅間神社に奉納された本物は色が褪せて茶色ですが、復元品は鮮やかな朱色で、家康が初めて身に着けた当時の姿を見せてくれています。
下の写真は大河ドラマ館のパネルです。
3階は生活や文化の展示です。企画展「徳川家康と駿府」も3階でした。
博物館の1階にある昔の駿府の地図。
駿府城を中心に武家屋敷と町人屋敷が広がっています。
さて、ここからいよいよ駿府城公園の中に入ります。
駿府城関連については下記でレポートしています。