福井市立郷土歴史博物館と名勝 養浩館庭園(ようこうかんていえん)
2024/5/16
福井城址を土橋から抜けた後 北の方角にある歴史博物館と養浩館へ向かいました。 徒歩で7~8分の距離です。(福井駅から信号につかまっても15分くらい) 福井市立郷土歴史博物館 メモ 福井藩主であった松平家に伝来していた重宝や寄贈された春嶽耕記念文庫・越葵文庫などの資料を中心に、 福井藩の歴史、城下町の暮らしぶりや戦災、震災などの資料を常設展示しています。 福井城本丸や九十九橋の復元模型やCGを使った展示も見どころ。 開館時間:9:00~19:00(冬季は17:00まで) 観覧料:平常展示観覧料 ¥220 / ...
2024/5/12
東京駅の八重洲側、八重洲通りを200m位行ったところの中央分離帯の中にヤン・ヨーステン記念碑があります。 ヤン・ヨーステンは江戸幕府の外交顧問でした。 ヤン・ヨーステンは、1598年オランダ船リーフデ号に乗り込み、ロッテルダムから出航し、マゼラン海峡を通って日本を目指します。 出航時の乗組員は110人ほどいましたが、日本の豊後に漂着した1600年(慶長5年)時の生存者はわずかに24名でした。 ウィリアム・アダムス(三浦按針)もこの中の一人です。 良く知られていますが、八重洲は、ヤン・ヨーステ ...
2024/5/11
天正元年(1573)8月、織田信長による朝倉氏の滅亡とともに、百年余り続いた城下町一乗谷の繁栄は終わります。 滅亡の混乱を生きのびた人々は、別の土地へと移り住みます。 北庄のような新たな都市がつくられていくなか、一乗谷は田畑が広がる農村へと姿を変えていきました。 これにより奇跡的に良好な状態で城下町の跡が残されることになりました。 昔の城下町の遺構はとても広いです。 https://fujisannoblog.com/wp-content/uploads/2024/05/97f7950912d35da6d ...
2024/4/30
永平寺は福井県にある曹洞宗の仏教寺院で、宗祖道元が開山しました。 中国・宗へ留学した道元は、帰国後、京都で曹洞宗の教えを広めようとしましたが旧仏教側の迫害を受け、信徒の1人であった越前国(福井県)の武将・波多野義重の誘いによって越前に渡りました。 永平寺の中心建物は中国禅宗の様式に由来するもので、七堂伽藍(しちどうがらん)と呼ばれます。 上の地図で黄色い名の付いた建物です。 1 龍門 入口の門です。 右柱に 『杓底一残水』、左柱に 『汲流千億人』 と刻まれています。 ...
2024/4/29
お天気が悪い休日 前から行ってみたかった所沢にある「角川武蔵野ミュージアム」行ってきました。 【角川武蔵野ミュージアム】 ポイント 人間と自然が折り合ってきた悠久の大地、武蔵野の地に2020年オープン。 図書館、美術館、博物館が融合したまったく新しいコンセプトの文化複合施設で、ところざわサクラタウンのランドマーク的存在。 アート、文学、博物などのジャンルを超えてあらゆる知を再編成した、世界で他に類を見ないミュージアムです。 建築デザイン監修:隈研吾 アート部門ディレクター:神野真吾 住所:〒359-00 ...
2024/4/27
北の庄は福井県福井市の昔の呼び名です。 戦国時代に信長の家臣の柴田勝家が城を築き、秀吉に攻められて、お市の方と共に落城したことで有名です。 その、北庄城はJR福井駅から徒歩5分の場所にあり、その跡地に、勝家を祀る柴田神社もあります。 1 柴田神社 北の庄通りに立つ「柴田神社」の由来の碑です。 「柴田神社」の由来 北ノ庄城は、柴田勝家が築いた城で、九層の天守閣が、天高くそびえていたといわれる。 このりっぱな城も、天正11年(1583)4月、羽柴秀吉に破れた勝家は、自ら火を放って夫人お市の方と ...
2024/4/21
福井県立恐竜博物館の第二弾です。 前回のブログ(福井県立恐竜博物館#1)では建物の外側をレポートしましたが、今回はいよいよ室内展示編です。 入口で、あらかじめ購入した日時指定の観覧券をスマホで見せて入場です。 1 本館 玄関から入って地下1階から3階まで吹き抜けの建物の中を地下1階までエスカレータで降りてゆきます。 これだけでもワクワクします。 https://fujisannoblog.com/wp-content/uploads/2024/04/Escalator.mp4 1.1 ...