小樽歴史館は、小樽のメインストリート・堺町通りに面したレトロな複合施設「小樽出世前広場」内にある資料展示スペースです。
約120年前に建てられた歴史的建造物「酪農会館」を再生した空間にあり、かつて海運やニシン漁などで栄華を極めた小樽商人たちの事績や、街の発展の歩みを伝える資料・写真を展示しています。
広場の奥にある丘(かつて成功を収めた豪商たちの邸宅が並んだ場所)へと続く「出世坂」の麓にあることから、この名が付けられました。


目次
1 若き獅子たち
小樽を発展させた新進気鋭の人物達の紹介です。
2 小樽概略史
2.1 鎖国から開国へ
日本が世界史に組み込まれた!
幕末の1853 (嘉永6)年、アメリカのペリーが開国を求めて今の神奈川県浦賀に来航。 翌年には日米和親条約が結ばれ、200年以上続いた鎖国が終わりました。 日本は必死に欧米からの技術導入を図り、 そのための資金を得るため、綿花の輸出を進めます。 その綿花の肥料として、北海道でつくられる鰊粕が高い価値をもつようになりました。 一時期、北海道のニシンは日本の輸出品を支えていたのです。
小樽のはじまり
小樽が日本史に組み込まれた!
江戸時代になると、 「場所」とよばれるニシン漁場が設けられるようになります。
今の小樽市域にはオショロ ( 忍路) 場所、タカシマ (高島) 場所、 ヲタルナイ (小樽内) 場所がありました。 小樽内場所は1865 (元治2)年 「場所」から「村並」 となり、 1869(明治2)年には忍路場所・高島場所も廃止されました。
2.2 殖産興業で石炭開発
北の北海道、南の九州!
明治政府は欧米諸国から近代的な技術を取り入れ、さまざまな産業を興そうとします。 近代産業には機械を動かす燃料が必要で、 当時の燃料の花形は石炭でした。調査の結果、北海道では内陸の幌内 (現・三笠市) に有望な炭鉱が発見されましたが、石炭を港へ、さらには消費地である本州へ運び出す手段が問題となりました。
鉄道と港の整備
怪物参上! 小さな漁村に鉄道と防波堤が!
1880 (明治13)年には、 ここ小樽の手宮から札幌まで北海道で最初の鉄道が敷かれます。
2年後には幌内まで全通し、炭鉱からの石炭輸送が開始されました。 さらに石炭を安全・確実に運び出すために、防波堤建設など、近代的な港の整備もはじまります。
2.3 北海道への移民ブーム
一攫千金の夢を求めて!
明治政府は1869(明治2)年に北海道開拓使を設置し、本州からの移民を奨励して開拓にあたらせます。 北海道には明治・大正期に200万人以上が移民し、開拓物資や生活物資の需要が急激に高まっていきます。
小樽商人の勃興
小樽の黄金期を支え巨万の富を築いた「樽橋」!
近代化の実験地北海道、 そしてその玄関口小樽では大勢の商人たちが活躍します。 さらにその商機に便乗して、たくさんの金融機関が設置され、 商業活動を支援していきました。
日清戦争、 日露戦争、第一次世界大戦と10年おきの戦争による特需景気で、 小樽でも「船成金」 や 「豆成「金」が生まれました。 商機の増大、人口の増加を背景に、小樽には豊富な資金が投入され、日本の第一級の技術が小樽で花開いていきました
2.4 第二次世界大戦
世界の覇権がヨーロッパからアメリカへ!
18世紀にイギリスからはじまった産業革命はヨーロッパ優位の時代をもたらします。
そして、 アメリカが覇権を得るきっかけは、 1939(昭和14)年に勃発した第二次世界大戦でした。
日本はそれまでの3回の戦争では戦勝国となりましたが、この戦争では敗戦国となり、多くの犠牲が伴いました。
小樽の斜陽のはじまり
黄金期を支えたすべての条件を喪失!
小樽も第二次世界大戦で大きな痛手を被ります。 敗戦と同時に樺太の領有権を失い、 小樽商人の商圏も激減、戦後には商業機能はしだいに札幌に移っていきました。
小樽付近の鰊漁は昭和初期には不漁となり、 1954(昭和29)年を最後にニシンの姿は見られなくなります。
石炭は昭和30年代には石油に主役を奪われ、 また道路や空港が整備されたため、港(海運) の占める比率が低下、小樽は斜陽の時代を迎えます。
「戦勝景気から焼け野原へ!
2.5 高度経済成長
おもしろい地域へ行きたい!
日本は第二次世界大戦の敗戦後、 復興を掲げて経済発展に向けてまっしぐらに進んでいきます。 1955(昭和30)年から1973(昭和48)年にかけの高度経済成長は、終戦直後のぎりぎりの生活から、 レジャーや旅行などを楽しむ余裕を生み出しました。
奇跡の街「小樽」
進取の気性に富むDNAは志豊かなまちづくり獅子たちへ!
小樽の不思議のみなもとは、戦災を免れ、 また高度経済成長に乗り遅れたために、 多くの貴重な建築物が残ったということです。
小樽運河保存運動からはじまる小樽のまちづくり運動は、この不思議な巡り合わせを 「小樽の独自性」 とプラス思考でとらえ、 残された歴史的な遺産を新たな資源にしようとした先進的な取り組みでした。
2.6 地方分権の流れ
地方分権はグローバル化の落とし子!
現在はいわゆる経済のグローバル化の時代です。
グローバル化の時代には、 外交はいっそう重要な役割を担うようになります。
そこで、国家は外交に主力を置き、それ以外の機能を地方に移す 「地方分権」という発想が生まれます。
いまだに多くの権限を中央官僚が独占している現実をどのように変えていくかが課題となっています。
地方主権を目指して
仕組まれた「地方分権」と仕掛ける「地方主権」!
小樽の黄金期に建設された多くの歴史的な遺産が新たな観光資源に進化するきっかけは小樽運河保存運動でした。
そしてこれを継承し、 発展させてきたのが小樽のまちづくり運動です。
したがって小樽観光は 「まちづくり観光」ともいわれています。
現在でも、歴史的な遺産を資源として、やがてくる「地方主権」の地域モデルをつくろうと、 新たなまちづくり運動が続けられています。
3 幕末史
3.1 日本の夜明け
帝国主義と言う、国家による暴力と搾取の時代 欧米列強の植民地化より免れるため、 滑稽を通り越し、泣けるほどの努力をした日本の姿がそこにある。
永い鎖国の中、 長崎の出島と言う暗箱の小さな孔を通して世界の動きを覗き続けた日本。
華やかな江戸町人文化の成熟と共に世界の趨勢を理解出来得る土壌が構築されて行ったことであろう。
3.2 帝国主義の台頭
羅針盤の発明に伴い、 大航海時代の到来。
科学技術の進歩・産業革命で力を付けた欧米列強は武力による植民地拡大に乗り出す。
3.3 開国と王政復古
1770年 外国船次々と来る
1840年 イギリスと清国でアヘン戦争
1844年 オランダ国王 開国を進言
1853年 アメリカのペリー。ロシアのプチャーチン開国を迫る
1859年 神奈川・長崎・ 箱館そして横浜開港
1867年 徳川幕府の大政奉還・明治新政府は近代国家を作るため殖産興業・富国強兵策を打ち出す。
さて、文章ばかりで、読むのに疲れましたが、又何かの機会でこの写真を使う時があるかもしれないと思いつつ、記録としてここに残します。












